崩壊の危機に直面する沿岸漁業(5)シャコ
乾 政秀(18製大)
◆たらふく食べたシャコ
1960年代後半を過ごした学生時代、「海が汚れるとシャコが増え、東京湾の最後の生物になるのでは」と教えられた。当時、工業地帯を象徴する川崎駅前の路上で、生きたシャコがタライに入れて売られていたのが、なぜか強く印象に残っている。
シャコの思い出として深く刻まれているのは、広島県福山でのことである。修士課程を修了後、私は㈱東京久栄という会社に就職し、海洋調査の仕事に従事していた。入社後数年を経過していたと思うが、福山に海洋調査に出かけた。
日本鋼管㈱〔現JFEスチール㈱〕が福山製鉄所を建設、製鉄所に送る電力を確保するため中国電力㈱との間で、福山共同火力発電所がつくられることになった。当時、まだ環境アセスメントは法制化されていなかったが、基礎的な海洋環境の調査が実施されることになり、私の所属していた会社が調査を受託した。海洋観測、採水、採泥、プランクトン採集、ベントス採集、潮間帯生物調査、魚類相調査などを四季にわたって実施した。
私たちのチームは鞆の浦の仙酔島にあった国民宿舎に逗留して調査にあたったが、あるとき、チャーターした漁船の漁師から大きなバケツにいっぱいのシャコをいただいた。宿舎に持ち帰り、さっそくスタッフと一緒にボイルし、剪定鋏などで頭を落とし、殻の両側を切り取ってむき身にして食べた。これほど大量のシャコを食べ、酒を飲んだのは後にも先にもない。
少しわき道にそれるが、私が所属していた会社は戦後まもなく「塩田」に供給する海水取水の工事会社としてスタートした。塩田が国策によって廃止されると、取水工事の対象を当時水力発電から火力発電に大きくシフトしつつあった電力会社に転換していく。
原子力を含む「汽力発電」は水蒸気(気体)でタービンを回し、復水器で蒸気を水(液体)に戻す作業を繰り返す。蒸気を水に戻す、つまり冷却には日本の場合もっぱら海水が使われた(海外ではクーリングタワー、つまり空冷式も多い)。冷却に使用された海水は水温が上昇し、「温排水」として環境中に放出される。大量の温排水の放流(基本的に上昇幅は7℃未満に抑えられるように設計されている)は海の生物に影響を与えることが危惧されていた。
適切な海水を取水するためには海洋調査が不可欠であり、温排水の拡散が環境に与える影響を明らかにするためにも海洋調査が不可欠であった。
その当時、海洋調査は各県の水産試験場や国の水産研究所が担っていたが、増える調査需要に対処できず、民間企業が海洋調査に進出する時代となっていた。私が所属した会社がその草分けだった。
この会社の海洋調査に関する基礎を築いたのが東京水産大学の卒業生であった。私の就職を斡旋してくれたのが、海洋プランクトンの同定などをこの会社でやっていた大野 淳さん(12増大、後に東京水産大学教授)であり、技術的なアドバイスをしていただいたのが東京大学農学部水産学科にいた桑原 連さん(7増大、後に東京農業大学教授)、東邦大学理学部生物学科の教授をしていた秋山(旧姓武田)章男さん(8増大)であった。先輩には小野忠顕さん(11漁大)、中瀬(旧姓篠原)らいこさん(13増大)、高杉由夫さん(17漁大)らがいた。
◆穴に潜るシャコ
シャコ(Oratosquilla oratoria)はトゲエビ亜綱口脚目に分類され、同じ甲殻類のエビ類やカニ類とは分類学的にかなり隔たっている。
本種は日本全国各地の内湾浅海域に分布し、水深10~30mの砂泥底に生息する。通常は海底に浅いU字型の巣穴を掘って単独で生活している。

図1 シャコの生活史
大阪府立環境農林水産総合研究所/大阪湾の生き物図鑑より引用
肉食性でゴカイなどの多毛類、甲殻類、小魚や殻の薄い二枚貝類を餌としている。夜間や濁りが発生している時に穴から出て、鎌のような形をした捕脚を使って瞬時に獲物を捕る。以前“さかなクン”が出演したNHKの番組でシャコの仲間が獲物を瞬時に捕る様子が紹介されたが、迫力ある映像を見た方もおられるだろう。
シャコは巣穴の中で仰向けになった姿勢で卵を産む。紐状に連なった卵は互いに粘着し合い、雌の腹の上で不定形の卵塊を形成する。産卵後、起き上がった雌は卵塊整形行動によって直径10mm前後の薄い円盤状にして、新鮮な海水を送り込みながら1カ月ほど保育する。孵化した幼生は2回の脱皮後、穴を出てアリマ幼生となる。1カ月ほどの浮遊生活を経て17mm前後に成長すると着底し、稚シャコに変態、海底生活に移る。
産卵期は5月中旬から7月中旬がメインで、東京湾の場合は春と夏の2回産卵する。
シャコは1歳で成熟し、寿命は4年ほどだ。捕食者はアナゴやハモなどの底生性の魚類である。
◆シャコの利用
東京湾(江戸前)におけるシャコの商業的な利用は、少なくとも江戸時代から見られ、天ぷら種として珍重されていたようだ。むき身に加工されて販売されるようになるのは明治末期とされ、神奈川・子安の仲買人がゆでてむき身に加工したとされている。
シャコの市場価値が全国的に広まり、積極的に漁獲されるようになるのは1960年代に入ってからのことである。高度経済成長期に閉鎖性内湾域では富栄養化が進み、干潟が失われてクルマエビや小エビ類、ガザミなどの甲殻類が減り、逆にシャコが増えると、がぜん市場価値をもつようになったのだった。
首都圏で特に有名となったのが「小柴のシャコ」のブランドで一世を風靡した柴漁協(現横浜市漁協柴支所)であった。柴の漁業者は、飛鳥田市政による漁業者切り捨てによって(金沢沖の埋め立て)ノリ養殖漁場を失い、小型底曳網漁業に活路を見出すことになるが、その漁獲のメインがシャコであった。
シャコは消化酵素が強いため、時間の経過とともに自己消化作用で身が変質してしまう。したがって、できるだけ速やかに加熱して消化酵素の働きを抑えることが肝要だ。柴の漁師は漁獲したシャコを自宅に持ち帰ると、ただちにボイルしてむき身に加工した。小さな捕脚も殻を剥き、「シャコの爪」として高付加価値化を実現した。かくして関東近辺の鮨屋では「小柴のシャコ」として一級品の折り紙がついた。
このようにシャコの主な用途は鮨ダネである。シャコは基本的に刺身で食べることはなく、塩ゆでや酢味噌和え、シャコ飯などで食べられていた。ローカルな利用としては、地元水産物を活用するバラ寿司(関東のちらし寿司に相当し、岡山駅の駅弁では「祭り寿司」として売られている)に使われていた。もっとも最近は漁獲量が少ないため「祭り寿司」には入っていない。また、同じ岡山県の笠岡ではシャコの卵とじを乗せたシャコ丼が知られている。
私は子持ちのシャコが大好きだった。春先の産卵前に雌はオレンジ色をした内子を有する。この歯ごたえのある卵は格別美味しいと思ったものだが、今ではほとんどお目にかかることはない。
◆シャコの漁業
上述したようにシャコは海底にU字型の巣穴を掘り、その中に生息している。餌の獲物が巣穴に近づくと捕脚によって瞬時に獲物を捕らえ、穴の中に持ち込んで食べる。摂餌活動は夜間や時化などで海水が濁ったときとされている。
こうした生態からシャコの漁業は基本的に小型底曳網漁業によって漁獲されている。

写真1 柴漁港に係留されていた小型底曳網漁船
(2004年10月当時 著者撮影)
マンガなどによって砂泥を掘り起こし、水中に出たシャコが袋網に入る。複数の漁船がコンビを組み、順番を変えながら曳網することも行われている。前の漁船が掘り起こし、穴から出たシャコをうしろの漁船が捕らえるという仕組みだ。
ただ例外もあり、北海道の石狩湾では刺網でシャコを獲っている。時化の後、餌を食べに巣穴から出てきたシャコを狙う。荒天前に刺網を設置し、天候が穏やかになってから刺網を回収する。小さなサイズのシャコは刺網を抜けるので石狩湾のシャコは大型ぞろいなのが特徴のようだ。ただ、刺網による漁獲はシャコを1尾ずつ網から丁寧に外さなければならないので、人手が必要となる点がネックとなっている。
なお有明海でも刺網で漁獲しているという情報もあり、筑前海では籠でも獲られているようだ。
◆シャコの主な産地
シャコの漁獲量に関する全国統計はない。ただ2006(平成18)年までは「地方種」として、神奈川、愛知、大阪、岡山、広島、徳島、香川の1府6県では漁獲統計が公表されていた(ちなみに2007年以降は「地方種」そのものの統計がなくなっている)。これら1府6県においてシャコは漁獲量の多い重要種として位置づけられていたわけだ。したがって1970~1980年代にかけての主要な産地はこの7府県ということになる。なお『東京都内湾漁業興亡史』によると、昭和初期には東京都内で1,000トンを超えるシャコが漁獲されていた。

図2 主要7府県のシャコ漁獲量の推移
「農林水産統計年報」(農林水産省)より作成
注)広島県の1972~1982年までの11年間はデータが未公表
この7府県におけるシャコの漁獲量の推移を図2に示した。シャコの漁獲量が多かったのは1980年代までで、1990年以降は下降線をたどっている。データが公表された最後の年である2006年の7府県の合計漁獲量はすでに1,000トンを下回っており、1980年代の1/5ほどに減っていた。
海域別では、東京湾、伊勢・三河湾、瀬戸内海が主産地だった。ただ後述するようにこれらの海域の漁獲量は2006年以降も激減している。東京湾はほぼゼロ、愛知県は後述するように2020年の漁獲量は87トンに過ぎない。
現在、最も多くシャコが漁獲されているのは、北海道の石狩湾であり、近年は100~150トンで推移している。北海道以外では、東京都中央卸売市場への出荷先などから推測すると、伊勢・三河湾と瀬戸内海以外では青森県の陸奥湾、宮城県の仙台湾、筑前海、有明海などがわずかにシャコを産しているようだ。
◆激減したシャコの漁獲量
シャコの主要産地の7府県の漁獲量は1990年代に入ると、減少基調に移ったことは図2で確認したとおりだが、その後どのように推移しているかは統計データがないのでわからない。
ただシャコの漁獲量は消費地市場の入荷量に反映されるので、日本最大の消費地市場である東京都中央卸売市場の入荷量で確認しておこう。同市場におけるシャコの入荷量は、むき身(頭部と殻を除く)とラウンドの2形態にわけて集計されている。ただしラウンドは、ユーザーがむき身に調理しなければならないので面倒なこと、また廃棄物を運搬する非合理性からもともとむき身での流通が主流であった。

図3 東京都中央卸売市場におけるシャコの入荷量の推移
「東京売市場統計年報」(東京都)より作成
図3は同市場におけるシャコのむき身とラウンドの入荷量の推移を示したものである。近年、シャコの漁獲量の減少とともに産地における加工機能が低下しており、むき身とラウンドの入荷量が逆転している。むき身の歩留まりを35%とすると、むき身の入荷量の約3倍がラウンド換算の入荷量ということになる。なお2023年のむき身の入荷先は岡山県が圧倒的に多く、これに愛知県が続く。一方、ラウンドは宮城県、北海道、千葉県の順であった。
同市場におけるむき身の入荷量は2006年まで図2に示す主要7府県の漁獲量とほぼパラレルな関係で推移していた。しかし2007年以降もさらに減少し続け、2020年からは20トンを下回っている。市場の入荷量のデータからシャコの漁獲量は近年激減していることがわかる。
次にこの減少傾向を個別産地で確認しておこう。
図4は東京湾最大の産地であった現横浜市漁協柴支所におけるむき身シャコの出荷枚数の推移を示したものである。1980年代後半には約180万枚(約1,000トン)を生産していたが、2000年代に入って激減した。このため2005年に全面禁漁措置を講ずる。その後一時解禁するもののわずかに漁獲されただけで、現在に至るまでゼロの状態が続いている。つまり東京湾からシャコが消えて久しいのである。

図4 横浜市漁協柴支所におけるむき身シャコ出荷枚数の推移
神奈川県水産技術センター提供
次に伊勢・三河湾を漁場とする愛知県を見ておこう(三重県も伊勢湾を漁場としているが、シャコの漁獲量はわずか)。2000年代前半の主要7府県のシャコ漁獲量に占める愛知県のシェアは4~5割に達していた。愛知県は日本最大のシャコの産地だったのである。県内の漁業生産に占めるシャコのシェアが高かったことから、愛知県では国の統計が公表されなくなった後も現在に至るまで県独自にシャコの漁獲量を調査、把握しており、継続的なデータが存在する。図5は愛知県におけるシャコの漁獲量の推移を示したものである。

図5 愛知県におけるシャコの漁獲量の推移
「愛知県農林水産統計年報」(農林水産省)および「魚種別漁獲量の推移」(愛知県)より作成
愛知県のシャコの漁獲量は1970~80年代は1、500トン前後で推移し、ピークは1977年の2,238トンであった。しかし1990年代に入ると減り始め、2000年以降はほぼ一貫して減少しており、2020年は100トンを割り込み、87トンに激減している。そして現在は北海道に抜かれ、第2位の産地に甘んじている。
◆高騰するシャコの価格
このようにシャコの漁獲量が激減するなかで、卸売価格はどうなっているだろうか。図6は東京都中央卸売市場におけるむき身シャコの年平均単価の推移を示したものである。

図6 東京都中央卸売市場におけるむき身シャコの年平均単価の推移
「東京都中央卸売市場統計年報」(東京都)より作成
シャコは輸入されていないことから、シャコの供給は国産に限定される。国内の供給量の大幅な減少に伴って、近年、シャコの卸売価格は高騰している。2010年ごろまでは長期にわたって2,000~3,000円/kgほどで比較的安定していたが、2015年から高騰し始め、2022年には10,000円/kgを超えた。1980年代から見ると約5倍に上昇したことになる。川崎駅前の路上で売られていた時代からは想像もできないような高級品となった。
卸売価格が10,000円/kgを超える水産物は、当然、スーパーマーケットで扱う商品ではないので、一般国民はシャコを目にすることはなくなった。鮨屋でもシャコにお目にかかることは稀で、ましてや回転寿司チェーンからは姿を消している。
インターネットを見ていたら、「回転寿司からシャコがなくなった理由を大手3社様に聞いてみた」という記事が出ていた。問い合わせ先はスシローとカッパ・クリエイト、くらコーポレーションであるが、前2者は無回答、くらコーポレーションは販売状況を見た上で取り扱いを終了したと回答している。
シャコはすでに低価格帯を狙う回転寿司チェーンが取り扱える商材ではなくなっているわけだ。そしてこの価格高騰がわが国沿岸のシャコ資源の激減によってもたらされていることに、鮨業界とりわけ現場とはかけ離れた回転寿司チェーンの関係者は知らないのであろう。
◆シャコはなぜ減ったのか
シャコがかつて重要な魚種であった府県では断片的にシャコの資源動向に関する調査・研究を行っている。これらの調査・研究で指摘されているシャコ資源の減少原因は、①貧酸素水塊の発生、②栄養塩類の負荷削減による基礎生産力の低下、③冬季の水温上昇、④高次捕食者による捕食圧、⑤高い漁獲圧などである。
このうち「高い漁獲圧」というのは説得力を欠く。東京湾におけるシャコの最大の産地であった現横浜市漁協柴支所では、①「2勤1休」による漁獲努力量の制限、②1隻あたりの出荷制限(量的規制)、③袋網の網目拡大による小型サイズの漁獲回避、といった漁業管理を実施してきた。そして漁獲後ただちにボイル加工し、今日でいうところの「6次産業化」を実践していた。この取り組みは東京水産大学の長谷川彰先生によって高く評価されたのである。
そしてシャコの資源減少が明らかになった時点で全面禁漁措置を講じている。にもかかわらず、シャコ資源は全く回復していない。この事実はシャコの減少が「高い漁獲圧」によるものではないことの証左なのだ。
つまりシャコ資源の減少は人為的要因ではなく、シャコの生息環境や種間関係などの自然環境要因の変化によってもたらされていることを示していよう。
シャコは海底に穴を掘って棲むことから、海底のかく乱や貧酸素水塊の発生は大いに関係がありそうだ。事実、伊勢・三河湾においてはシャコの浮遊幼生は多く見られるが、着底後に大幅に減少していると推定され、海底付近での「貧酸素」が影響している可能性が高い。
しかし、シャコの減少は北海道石狩湾を除くと、21世紀に入って全国的かつ同時多発的に進行していることから、広範囲に及ぶもっと大きな自然環境の変化が起こっていることを示唆している。
環境省は閉鎖性水域(東京湾、伊勢・三河湾、瀬戸内海)について1988(昭和63)年から「水質総量規制」を実施し、当初は有機汚濁の指標であるCODの規制から始めた。2002(平成14)年の第5次規制からは新たに窒素とリンを汚濁物質に指定し、栄養塩類の負荷削減を実施した。この結果、海域の栄養塩濃度は低下、それに伴い基礎生産力も低下し、「きれいな海」になりつつある。ただし「豊かな海」とはいえない。
沿岸環境の悪化(干潟・浅場の消失、底質のシルト化、海底かく乱と貧酸素化など)に伴い二枚貝類(アサリやハマグリ)やクルマエビや小エビ類が減少していることは本シリーズで述べてきた通りであるが、加えてこの栄養塩類の減少による基礎生産力の低下が、シャコの餌を減少させている可能性が高い。また近年の水温上昇が沿岸生態系を変化させ、シャコ資源の減少をもたらしていることも考えられる。
高度経済成長を契機として閉鎖性水域を中心に「汚れた海」に増えたシャコは、富栄養な海に咲いた「あだ花」だったのかもしれない。
あるいは楽水会のメールマガジンで爲石日出生さん(20漁大)が川崎健先生が提起した「レジームシフト」論を連載しているが、シャコ資源の減少は沿岸域で起きている「レジームシフト」なのかもしれない。
そうであるならば、人為的要因を根拠に「資源回復措置」を漁業者に強いる行政の対応は的外れだろう。
◆参考文献
浜野龍夫(1994)総説 シャコ類の生態学的研究.日本水産学会誌、60(2)、143‒145.
清水詢道(2022)東京湾のシャコ資源について(総説)‒1.資源利用の概観と生活史.神水研研報.
第7号、1‒10.
曽根亮太・日比野学・下村友季・鵜嵜直文・澤山周平(2022)伊勢・三河湾におけるシャコの資源動態
と肥満度の変化及び加入・生残過程.愛知水試研報、27、22‒30.
◆付記
本シリーズのクルマエビの記事について日本栽培漁業協会にいた石橋矩久さん(17増大)から貴重なアドバイスをいただいた。記事ではクルマエビの養殖産地が瀬戸内海や熊本県から鹿児島県・沖縄県に移っていることを示したが、その要因として重要なのはクルマエビ配合餌料の開発であったというのが石橋さんの指摘である。
クルマエビ養殖産地は、当初二枚貝類などの天然餌料に依存していたため、餌の確保が容易な地域に限られていたが、配合飼料が開発されたことで産地の拡大、ひいては今日の世界的なエビ養殖の発展をもたらしたというものであった。









