カズオ・イシグロの父は海洋学者
神崎正哉(38海工)
今年のノーベル文学賞は日系イギリス人作家のカズオ・イシグロが受賞しました。私にとって思い入れのある作家なので、とてもうれしいニュースでした。カズオ・イシグロの名前を初めて目にしたのは、1989年にブッカーズ賞というイギリスで最も権威のある文学賞を取った時でした。当時大学4年生だった私は、卒業後は渡英したいと考え英語学習に励んでいたので、長崎生まれの少年がイギリスに渡り、初めは外国語として英語を学んでいたが、やがて英語で小説を書くようになり、文学賞を取るに至ったという記事を読んでとても勇気づけられました。なので、1991年に渡英の夢が叶った際、ロンドンに着いてすぐ受賞作のThe Remains of the Day(邦題『日の名残り』)を購入しました。ただ、当時の私の英語力では歯が立たなかったので、しばらく開かずにいました。それから2年経って再び挑戦したら今度は読めたので、自分の英語力の伸びを実感できてうれしかったことを覚えています。
この小説は貴族に仕えるStevensという執事が主人公です。彼は仕事に没頭し職能を極めることに人生を捧げる職人気質の人物で、執事としては非常に優秀な反面、感情表現が苦手で、恋愛感情を上手く伝えられず、両想いの相手がいるのに恋愛関係が築けずに終わってしまいます。「仕事一筋の堅物」というのは日本人の特徴的な気質かと思っていましたが、イギリスでも十分存在し得るということが分り新鮮でした。
また、この小説で語られる歴史観も私にとっては新しいものでした。Stevensが仕えるLord Darlingtonは、第一次世界大後、ドイツとの間で二度と悲惨な戦争を繰り返してはならないという思いに駆られ、親ドイツ的な立場で復興を支援しようとしますが、敗戦国として膨大な賠償金を課せられたドイツは経済的に悲惨な状況に陥ります。それがナチス台頭の素地を作り、ひいては第二次世界大戦に繋がったので、ドイツをそこまで追い込んだフランスやアメリカにも責任があることを示唆しています。私がイギリスに渡った時期は第二次世界大戦の50年後で、50周年を記念してドイツや日本が大戦中いかに酷い行いをしたかという記事が新聞に頻繁に掲載されていました。イギリスでは第二次世界大戦の話になると往々にして勝った連合国側は善、負けた枢軸国側は悪という論調になりがちですが、そんなに単純に白黒付けられるものではないという視点をカズオ・イシグロの小説を通して得られたことは、戦勝50周年で盛り上がるイギリスで暮らす敵国出身者の私にとってとても有益でした。
さて、ノーベル賞受賞を機にカズオ・イシグロについてネットで調べていると、彼の父は石黒鎭雄という海洋学者だったことが分かりました。ウィキペディアのカズオ・イシグロのページに以下のような記述があります。
父の石黒鎭雄は1920年4月20日に上海で生まれ、明治専門学校で電気工学を学び、1958年のエレクトロニクスを用いた波の変動の解析に関する論文で東京大学より理学博士号を授与された海洋学者であり、高円寺の気象研究所勤務の後、1948年長崎海洋気象台に転勤となり、1960年まで長崎に住んでいた。長崎海洋気象台では副振動の研究などに携わったほか、海洋気象台の歌を作曲するなど音楽の才能にも恵まれていた。(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/カズオ・イシグロ)
カズオ・イシグロが長崎出身ということは知っていましたが、父親が長崎海洋気象台に勤めていたから長崎生まれというのは初めて知りました。長崎海洋気象台と言えば、私の恩師の大塚一志先生(2漁大)も勤めていました。本メルマガ編集長の森永先生経由で確認していただいたところ、鎭雄氏と同じ時期に勤務していて、面識があったということです。1989年のブッカーズ賞受賞当時、私は大塚先生が助教授を務める漁場学講座にいたので、その時知っていれば、「先生、この人のお父さんも長崎海洋気象台にいたそうですよ」という報告ができたのに。それから、鎭雄氏が赴任した当時、長崎海洋気象台では後に東京水産大学の教授となる宇田道隆先生が台長を務めていました(出典:http://www.jsfo.jp/contents/pdf/77-sp/77-sp-2.pdf)。私の学生時代、海工棟6階の漁場学講座には、宇田道隆先生の大きな写真が飾ってあったので、とても親しみがあります。大塚先生と宇田先生を介して、非常に間接的ではありますが、カズオ・イシグロの父の鎭雄氏に繋がったことを嬉しく思います。
鎭雄氏は1960年にイギリスの国立海洋研究所に移ります。初めはイギリスやオランダで2000人以上の死者を出した1953年の北海大洪水に関する研究に携わっていましたが、その後、当時開発が始まった北海油田のための海洋調査を行うようになったということです。電子回路を使って波のシミュレーションをする機械を自ら作り、高潮の予測等をしていたそうです。この機械の科学史上の意義が認められ、現在イギリスの科学博物館に展示されています(出典:https://beta.sciencemuseum.org.uk/stories/2016/11/4/modelling-the-oceans)。
以下、ネットで見つけた鎭雄氏に関する記事を共有いたします。
・エッセイ2:イギリスに渡った研究者-シズオ・イシグロをさがして http://www.jamstec.go.jp/res/ress/ogurik/essay2.html
・海洋学者Shizuo Ishiguro、日本出身地球物理学者の波http://d.hatena.ne.jp/masudako/20121014/1350215515
・日本海洋学会ニュースレター第7巻第1号
石黒 鎭雄 博士の思い出 九州大学名誉教授 光易 恒氏
(下記リンク先の5~6ページ、鎭雄氏の写真あり)http://kaiyo-gakkai.jp/jos/newsletter/2017/2017_v7_n1.pdf