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2023.02.03 18:59

「クジラの骨と僕らの未来」の顛末記

中村 玄(55育成44海修23海博)

はじめに

 本日(2023年2月3日)、私は第68回青少年読書感想文全国コンクールの表彰式に出席してきました

第68回青少年読書感想文全国コンクール高等学校部門 内閣総理大臣賞受賞者とともに

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 海洋大学の教員がなぜ?と思われるかもしれませんが、私の書籍が読書感想文コンクール高等学校部門の課題図書に選ばれ、さらにその感想文を書いてくれた生徒が内閣総理大臣賞を受賞したためです。今回は2021年7月に出版した「クジラの骨と僕らの未来」(理論社)について、本書の概要、執筆に至った経緯や苦労話などを紹介したいと思います。

「クジラの骨と僕らの未来」について

小学4年時の自由研究のテーマは「脱皮」。ペットのシマヘビの観察記を詳細に書き、抜け殻を貼り付けたものの、生き物の苦手な担任はこの表紙の写真を見ただけで中身を開くことがでなかったようで低い評価を受けた。

 幼い頃から生き物が好きで、中学生の時に飼っていたハムスターのお墓を掘り返し骨格標本を作ったり、高価な外国産のトカゲを買って友人からあきれられたりと、周囲からは少々変わり者だと思われていた私は、やがて東京水産大学に入学しました。大学で自分をはるかに超える変わり者、けれどとても親近感を感じ、ときには憧れさえ抱く仲間たちに出会いました。学生生活を通じて、自分の興味関心を突き詰めていくなかで、やがてライフワークとなるクジラ研究に巡り合いました。本書はそんな私の幼少期からクジラの研究者になるまでのエピソードを綴ったエッセイです。対象年齢は中学生以上ですが、ふりがなが振られているため、小学生でも頑張れば読める内容です。生き物が好きで進路に迷っている子どもたちに対して、大学や研究の面白さを伝えるとともに、普段あまり知ることのない研究者の日常を知ってもらいたいとの思いで執筆しました。

執筆のきっかけ

 2019年1月、本書の編集者から「中高生を対象に本を書いてみませんか?」と打診がありました。この編集者は私の幼少期を知る人物で、あのちょっと変わった生き物好きの少年がクジラの研究者になるまでの過程を描いたら一冊の本になるかもしれないと考えたようです。依頼を受けた当初、私は受けるべきかどうか少し悩んでいました。というのも私は研究者としてはまだまだ駆け出しであり、特に波乱に満ちた人生を送ったわけでもありません。そんな私の半生記に果たしてどれくらいの人が興味を持つのか疑問だったからです。しかし、結局は編集者の熱意(おだて?)に負け執筆を引き受けることにしました。

文章を書くのは楽じゃない

 これまで学術誌や専門誌への投稿経験はあったものの、一般書籍の執筆は初めてでした。当初は身の上話を書くだけなので論文に比べれば楽だろうとたかをくくっていましたが、実際に執筆をはじめると苦難の連続でした。

 まず当時の記憶が断片的でうまく思い出せません。そんな時、とても頼りになるものがありました。それは自分の日記でした。毎日欠かさず書いていたわけではありませんが、主要な内容は書いてあったので読み返すうちに当時の情景がよみがえってきました。このほかにも高校生の時、留学先から家に送った30通近い手紙なども当時の記憶を呼び覚ます重要な手がかりになりました。

たくさんのコメントが入った原稿。改めて見返すと、この部分はほぼ最終稿には書かれていない。

 本業の合間に文章を少しずつ書きため、月に一度、編集者と打ち合わせをしました。内容は本の構成や、文章の書き方のアドバイスなどさまざまでした。私にとってはあたりまえで、あまり面白みを感じないようなエピソードでも、編集者は「それは面白いですね。ぜひそこを深めてください」と文章を引き出してくれました。逆にこちらがノリノリで書いた文章が「これはちょっと不要ですね」と、バッサリ一刀両断されることもありました。まるで松の木を剪定する庭師のように、編集者はあちらを伸ばし、こちらを刈り込みしながら、一冊の本を仕上げていったのです。一番苦労したのは読みやすい文章を書く難しさでした。やさしい文章だからこそ、適切な言葉を選んで正しい文脈で伝える。これはいまだに自分の課題となっています。

 

出版と反響

 2021年7月に書店やオンラインストアで一斉に販売が開始されました。近所の書店で自分の本をみつけたときには、嬉しさ、恥ずかしさ、不安がないまぜとなり、まるで我が子の発表会を観ている親のような気分になりました。心の中で本に向かって「がんばれよ!」と声を掛け、そそくさとその場を後にしました。

 友人や知人からの感想はおおむね好評だったのでまずはホッとしました。ただ、これはあくまで私を知っている人の感想であり、会ったことのない人からどのような評価をされるのか不安でした。

 出版からおよそ5ヶ月後、神保町にある児童書専門店で賞を受賞したという嬉しいニュースが届きました。この賞は児童書専門店の書店員らの投票で決まるそうです。書店員にはこの本は読みやすく、内容も面白いのでぜひ多くの子どもたちに読んでもらいたいと言っていただきました。そのほかにも多くの書店や図書館などで書評を書いていただき、少しずつ不安が解消していきました。

読書感想文の課題図書へ

 その後、さらに驚きの出来事がありました。それが青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に指定されたことでした。なにを隠そう小学生の頃、一番好きな宿題は図画工作と自由研究で、一番苦手としていたのが読書感想文だったのです。そんな私の書いた本が読書感想文の課題図書になろうとは夢にも思ってもみませんでした。

 課題図書は毎年、その前年に出版された書籍の中から、本の専門家らによって「子供にとって楽しい読書体験を得やすい本」を基準の一つとして選ばれるそうです。本書を選んで頂けたこと自体とても光栄ですが、なにより多くの中学生、高校生に本書を手に取ってもらえることが嬉しかったです。おかげで相当数の若者が本書を読み、感想文を書いてくれました。また、なかには夏休みの宿題とは関係なく、自主的に感想文を書いて私に送ってくれた小学生もいました。私の体験記を核として若い世代の子たちがさまざまなことを感じとってくれたことを知り、ようやく本書を出版して良かったと思うことができました。

さいごに

 本書を出版するにあたり、改めて私がとても多くの人に支えられ、応援してもらっていたことに気づかされました。動物の死体を家に持ち込み、骨格標本にする私を許容し、(なま)温かい目で見守ってくれた家族。中学、高校、大学とそれぞれの節目で出会った恩師たち。そして人目を気にせず好きなことに夢中になって良いのだと教えてくれた大学の友人たち。彼ら抜きでは今の自分はありませんでした。多くの人に本書を手に取ってもらえたことで、これまで支えてくれた人たちに対して、わずかばかりの恩返しができたかなと感じています。
                    (東京海洋大学 海洋資源環境学部 海洋環境科学部門 助教)

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