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2017.01.11 13:58

2016年度ボート部5学年合同OB会(10~14回生)報告

浜津國夫(11増大)

 2016年度全日本カッター競技大会が6月5日(日)三ケ日青年の家の地先・浜名湖で行われた。
全日本大会も今年で60回・還暦に当たる節目の大会だった。第3回大会から第7回大会に関わったOB達の年に一度の集まりを、今年も去る6月24日(金)東京会館(一橋大学、如水会館)で行った。昨年と同じ場所、同じ時期の開催。前年の25名から20名への参加者減とやや寂しい数字ではあったが、母校の稲田博史先生(25漁大・カッター部OB)、内田圭一先生(42海洋・現カッター部顧問)の参加は、今後の当OB会と現役学生部員の交流の橋掛けとなるものと期待を膨らませるものであった。

 例年の如く1年ぶりの再会を祝し不参加の仲間の消息に気配りしつつ、当時のボート生活に花が咲く。稲田、内田両先生は現在の学内状況、学生の部活の現状等に触れ、質疑応答を通じ練習方法や大先輩連よりのアドバイス等に付き、特に内田先生は学生の指導に生かすべきヒントを得んとの雰囲気はほほえましい風景だった。特筆すべき確認事項として来年度以降のOB会には現役学生2名を招待しての会にしようと全員の合意を得た。

クロニクル: 筆者11回生【一年次から二年次の1960年度(昭和35年)】のボート部生活

1) 13月26日から4月8日までヨット合宿(館山実習場) 
 ・3月23日、田舎の八代を発ち上京、24日の夜寮(朋鷹寮)に着く。25日ピンネス2隻にディンギー、ス     ナイプ等のヨット並びに艤装・諸資材を積み込む。26日7号艇に曳航され館山に向かう。
・4月8日終了。9日06:10出港、途中横浜でスナイプ、ディンギーを下ろし(当時インカレのヨットレースは横浜の本牧ふ頭で行われていた。今は埋め立てでこのレース会場は無い)夕方大学のポンドに帰港。
 
2) 第4回全日本カッター競技大会【1960年6月5日(日)】主幹:防衛大学校 馬堀海岸にて。
・4月11日よりプーリング練習開始 この時期大学の庭には「黄色タンポポ」の花盛り、1年前新入生として寮に入り一番の驚きが「黄色タンポポ」との出会いであった。熊本。八代地方では「白色タンポポ」しかなかったから・・・。
・4月13日新艇ピンネス来る。14日初漕ぎ、カッターと違い14人漕ぎ、艇も重く漕ぎ甲斐がありクルーも2名多く練習には好都合。のクルー16名。前日の16日合宿歓迎会、明日から大会終了まで全員絶対禁煙。距離も二千を中心に増減しながら二千を325枚でこぐ,千は153枚で漕ぐなどピッチの調整、安定化を目指した
・4月17日、全日本カッター大会に備えての合宿に入る。3年次生の艇指揮、艇長以下2年次生のクルー16名。前日の16日合宿歓迎会、明日から大会終了まで全員絶対禁煙。
≪練習≫ 朝夕の1日2回、陸上トレーニング(ランニング、バック台使っての腹筋強化、カエル又、腕立て伏せ、他)船上練習・プーリング(オーソドックスプーリング、2呼間プール、3分ダッシュ漕、千メートル力漕、分漕、スタンドプール、回頭練習、その他種々)採り入れ練習。
距離も二千を中心に増減しながら二千を325枚でこぐ,千は153枚で漕ぐなどピッチの調整、安定化を目指した
・5月22日(日)6時起床 顧問の山口教授乗船での練習 
   2800M 18分39秒   2000M 12分40秒
  午後15時30分より練習
   2000M 13分30秒   2000M 13分28秒
・5月24日(火)チリ津波に遭遇
 津波に遭遇!!朝、いつものように出艇後、火力発電所手前の橋(天王洲アイル)の所でこれから大井競馬場方面に向けて練習に入ろうとしていたら引き潮にも拘らず、すごい勢いで潮が満ち返してくる。折から運河の対岸に係留してある木場のラワン材が頑丈につないであるのにプツプツと大きな音を立てて繋ぎが切れ、潮に乗って川上へと逆流。艇にぶつかったら大変だ。急遽緊急避難天王洲アイルの岸壁に艇を寄せ、舫を取り一時上陸。この状況を大学に連絡するも反応薄く埒あかず。その間6時から8時頃の間に2回半満ち引きがあった。宮城、岩手の三陸海岸に大きな被害をもたらしたチリ津波だったのだ。自然の力の凄さを目の当たりにした貴重な経験だった。勿論その日の朝の練習は中止、午後はいつものように練習した。
(注)この日の潮汐表。旧暦4月29日大潮、H:03:53&17:17、 L:10:36&22:50
・5月28日 16人から正式に12人のシート決定この時期大会前の最後の調整期
・6月1日壮行会、6月2日品川での最後の練習後、一年生のスタンバイに送られて東京駅から防大に                       向かう。到着後試合艇に慣れる為の練習、宿舎は空手道場、三重県立大学と同居。
・6月5日(日) 大会当日。深い霧の朝だった。時間とともに霧が晴れ試合には支障なかった。
 結果、予選で負け、敗者復活でも負け、最終5位、屈辱的な敗退でクルー皆涙し来年に捲土重来を期     すと先輩、同輩諸兄に約束する。
・6月7日(火)今日から来年に向け本格的な練習に入る.

◎1961年(昭和36年)5月28日(日)第5回全日本カッター競技大会

 昨年度のクルーを中心にした我が東水大、見事優勝を果たす。以下後援のスポーツニッポン社の記事より抜粋「この日は風が強く、うねりも高くコンディションはよくなかったが各校力漕のレースを展開。決勝レースには、東京水産大学、水産講習所、三重大学、海上保安大学の4クルーが進出。ともに回転浮標点まで艇首をそろえる白熱戦を演じ、回頭後は東京水産が快調のピッチで水をあけゴール・インした。これで東京水産大学は3度目の優勝を遂げ、小倉大会会長より東京水産大学田中主将に優勝杯が授与された。」
(1位 水大16分23秒0、2位 水講17分13秒0、3位 三重大17分26秒6、4位 海保17分29秒9)

当、5学年合同ボート部OB会はこの時代に部活で切磋琢磨した仲間の年一回の集まりであることを付言して終わります。

後列左より(13名) 今井正直(14漁大)、浜津國夫(11増大)、黒田一紀(11増大)、斉藤孝雄(13漁大)、稲田博史(25漁大)、岩崎孝治(13漁大)、藤田繁昌(13漁大)、大澤岳男(13漁大)、柳瀬康雄(13製大)、木村進(13漁大)、内田圭一(42海洋)、山川紘(13増大)、松田謙一郎(13漁大)。

前列左より(7名)上田進康(11漁大)、松山隆治(10漁大)、伊東幸雄(10漁大)、田中芳克(10漁大)、増本清(11漁大)、鶴岡辰雄(12漁大)、池田正隆(12漁大)。

 

 

 

 

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