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2016.03.03 12:13

漁業・漁村の公益的機能(6) 漁村文化伝承の機能

乾 政秀(18製大)

 日本の文化は、日本人が歴史の中で積み上げてきたアイデンティティーです。私たち日本人はこの文化を守り、育てていかなければなりません。漁村には地域や集落ごとに様々な文化が、漁業活動を通じて形成されてきました。漁村ならではの文化を「漁村文化」と呼ぶことにします。文化の内容を述べる前に、文化の背景となる日本の漁村の特徴を整理しておきましょう。

 2013年漁業センサスによりますと、漁家が4戸以上の漁業集落は全国に約6,000存在しています。海岸延長の割に集落数が少ないのは東京都と沖縄県ぐらいで、都道府県別の海岸線の総延長と漁業集落数の間には正の相関が顕著です。海岸線6~7㎞に1つの割合で漁業集落が存在しています。海岸延長の長い北海道や長崎県には600を超える漁業集落があります。

 わが国は山地の割合が約7割を占め、特に海岸線の多くは半島や離島が占めていますので、漁村の多くは背後に山を抱え、狭隘な土地に密集して立地しています。農村の家は分散しているのに対し、漁村は密集している点に特徴があります。ところで、漁業は1人ではできません。特に網による操業は大勢の人たちが力を合わせて成り立つものです。また、漁獲物の迅速な処理と漁業の準備には、漁業にたずさわる人とは別にやはり大勢の人が必要です。その役割を担ったのが女性であり、老人でした。つまり、漁村は「集落の密集性」と「生産の共同性」が大きな特徴で、このことが漁村文化形成の基礎にありました。

 このような特徴を有する漁村が育んできた漁村文化といえるものは、①漁村景観、②魚食文化、③漁撈文化、④伝承、⑤祭りなどに分けることができます。それぞれの文化の特徴を見て行きましょう。
漁村の景観の基礎をなすものが海であり、そこでの生産活動です。漁村の景観は自然と人工物に大別され、両者のコンビネーションによって形成されています。白砂青松の海岸線、島や山の地形、干潟とそこを訪れる鳥類、あるいは藻場やサンゴ礁の海中景観は漁村の自然を代表するものです。ここに階段状に連なる集落、作業小屋などの漁撈活動を補助するための構築物などの人工物が自然の景観と調和して存在し、さらにそこに人間の営みが加わって、漁村独自の景観を形成してきました。

 近世になって変化しつつありますが、日本人の食文化の源流をなすものは「米」と「魚」でした。江戸時代まで米は経済の中心でしたし、四足動物を食べることが禁止されていましたので動物たんぱくの多くは魚介類に依存していました。なお、禁止されていたこともさることながら、四方を海に囲まれたわが国では海から動物たんぱくを得る方が合理的でした。亜寒帯から亜熱帯に位置する日本の水産物はきわめて多様性に富んでいます。一方、今日のようにコールドチェーンがありませんから、塩干品や乾燥品以外は広域流通せず地域ごとに隔絶していました。したがって、各地域に独自の食文化が育っていたのです。大きな視点でみるとサケとブリの文化圏、あるいは赤身と白身の文化圏が、東と西にわかれていますが、個々の種レベルでも大きな食文化の違いは枚挙に暇がありません。一方、日本人ほど水産物を徹底して利用してきた民族はいません。あらゆる部位を食べ、卵、幼稚魚などあらゆる成長段階を食べています。もちろん、食文化も徐々に変化をしていますが、逆に言うと「食ほど保守的なものはない」ともいえ、それぞれのローカルな魚食習慣はいまなお根強いものがあり、地域に固有の食文化が残っています。

 漁業は高度で多様な知識を必要とします。部屋の中のデスクワークと違って自然の中で仕事をするわけですから、気象の変化、潮流や潮汐、海岸・海底地形、水深、底質、生物の分布や生息域、生物の生態などの知識がなければ、魚を獲ることはできません。漁撈活動はまさに総合力といえるもので、それぞれの地域の自然条件にねざした特徴的な漁撈文化が育まれてきました。

 漁村に行きますと必ずといっていいほど、供養碑、遭難碑、記念碑、顕彰碑などの石碑を目にします。こうした記録は否応なしに漁村に暮らす人々の心に刻まれ、伝承されてきました。また、口伝として伝えられる海や自然の知識、海難防止、大漁・豊漁祈願、漁と船、漁と縁起なども地域の伝承文化と言えます。祝歌や民謡などの芸能も、人と人をつないで今日に伝えられてきました。

 5番目は祭りです。和歌山県日高町のクエを神輿に担ぐ奇祭・「クエ祭り」のように、様々な魚の名前を冠した祭りが全国各地に存在します。こうした伝統的祭りに加えて、地域の特産水産物を売るための祭りも最近増えてきました。祭りは、その活動を通じて地域社会に一体感を形成し、祭りの企画、準備、実行を通じて教育の機能も果たしています。

 このような多様な文化は、多くの日本人にうるおいを与えてきました。そして、この文化の継承は漁業と漁村の人々の存在によって担われてきたことを私たちは深く認識する必要があるのです。    

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