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2019.04.01 15:37

メタンハイドレート研究秘話

青山 千春(26漁大)

【沈没船ナホトカ号調査の帰り道】

 1997年1月2日のことです。
 重油を満載したロシアのナホトカ号が荒天の日本海で座礁した大事故をご記憶でしょうか。その船体の大部分は、水深およそ2500mの海底に沈みました。沈没した船体からは重油が漏れて海面に浮上していました。
 そこで、あとどれくらいの重油が沈没した船体に残っているのか、環境への影響は無いか、など東京水産大学(当時)の各分野の先生方が海鷹丸に乗船して総合的な調査が行われました。
 私は当時42才で、子育てのあと博士号を取得したばかり。博士論文のテーマが「海底面を利用した計量魚群探知機の較正に関する研究」でした。
 その手法を応用して重油の湧出量を計測できないか、ということで私も海鷹丸に乗船することになりました。計量魚群探知機により浮上する重油の量を推察することはうまくいきました。
 詳しくは、報告書「ナホトカ号沈没船体および浮上重油の音響的観測(青山千春、濱田悦之)、1999年5月、平成9年度東京水産大学航海調査報告書」を参照してください。

 これが運命の出逢いになるとは私も想像していませんでした。

 その調査の帰り道のことです。海鷹丸が日本海から関門海峡へ向かうため西方へ進路を取り航行している間も、計量魚群探知機を動かしていました。私は、調査の行き帰りには、いつも計量魚群探知機の画面の変化を見ながら海中の様子を想像しています。何か新発見がないかと期待を込めているのです。
 ちょうど島根県の隠岐東方沖を航走中に、計量魚群探知機の画面に、平坦な海底から突如、ろうそくの炎のようなかたちで立ち上がる部分が表示されました。
 その部分の高さはおよそ600mもありました。
 私は、「これは新発見かも知れない。熱水か、ひょっとしたら何かのガスが海底面から噴き出しているに違いない」とワクワクしながら考えました。
 早速、指導教官に興奮気味にその画面を見せると、「たぶん熱水かもしれないね」とあまり興味がなさそうに仰いました。うーん、単なる熱水かなぁ、それだけじゃないかもと思いました。そこで、いつか地質学の先生にこの立ち上がり部分を見せて、これが何なのか議論したいと考えました。


【目からウロコで共同研究が始まる】

 それから6年ほど経った2003年ごろ、ついに地質学の先生にこの『ろうそくの炎』の画面を見せるときが来ました。
 その先生は「魚群探知機で海中の様子がこんなによくわかるんですね。目からウロコです」と仰いました。
 なぜ、『目からウロコ』と表現されたかというと、地質の専門家は海底下の地層の様子は詳しく観測していましたが、海中の様子は全く見ていなかったのです。なので、このように探査の目印になるような重要な情報が海中にあるとはご存じなかったのです。『自分の分野の常識は、異分野の非常識』ということです。異分野とのコラボレーションは科学の発展に有意義であることを痛感しました。

 さらにその先生は続けて「この立ち上がり部分は、たぶんメタンでしょう。この近くの海域には海底表面にメタンハイドレートが賦存していることが、つい最近わかりました。ぜひ、共同研究しましょう」と仰いました。

 高校の頃から地学が大好きだった私は、この共同研究の話に飛びつきました。地学の研究もやりたいという長年の夢が叶うことになりました。
 私は水大(東京水産大学の略)の専攻科(航海科)出身です。女子として日本初の専攻科(航海科)学生でした。海の現場、メタンハイドレートがあるという海域に調査に行く計画を立てました。
 まずは調査船の傭船です。地質学の先生に「海鷹丸を使いましょう」とお奨めしました。ところが、先生は「海底にピストンコアリングをするのは、慣れていないととても無理だ」と消極的でした。私は海鷹丸はじめ水大の練習船の乗組員の技術力と応用力の高さを知っていたので、先生に「海鷹丸の乗組員に一度やり方を教えてもらえませんか。そうすれば彼らは直ぐに理解して、うまく出来る才能があります」とプッシュしました。
 先生は半信半疑でしたが、このときから、今に続く、海鷹丸によるメタンハイドレートの調査が始まりました。
 当時の海鷹丸の船長は小池義夫船長でした。小池船長は、学生指導はもちろん研究にも積極的に取り組む船長でしたので、共同研究の話は直ぐに前に進みました。また、小池船長は、私がまだ学部の学生で乗船実習していたころには神鷹丸の2等航海士で、その頃から同じ釜の飯を食った仲間でした。その連帯感が、話が積極果敢に早く進んだ理由のひとつかもしれません。


【海鷹海脚でメタンプルームを発見】

 2004年7月下旬から、われわれ共同研究チームは海鷹丸に乗船しました。3年生の乗船漁業実習に同乗させてもらったのです。私はその頃はまだ民間企業の研究員という立場で参加しました。

 新潟県の直江津沖の海脚部分であらかじめ計画した測線を航走していると、計量魚群探知機の画面に、ついにメタンプルームが現われました。メタンプルームとは、粒状や気泡のメタンが海底から湧出し海中を浮上している様子が魚群探知機の画面で柱のように見える現象です。
 1997年にナホトカ号調査の帰り道に見つけた海底からの高まり部分と同じように、海底面から海面方向へ向かってまっすぐに立ち上がる巨大なろうそくの炎のようなかたちでした。
 その高さは、水深およそ900mの海底から深さおよそ300mまで、600mもありました。そのメタンプルームの海底部分に目がけてピストンコアラーを打ちました。(ピストンコアラーとは、海底表面に長さ6mほどのコアラーを突き刺して海底表面の堆積物をコアラーの中に採取する道具です。)

 ピストンコアラーを打ち始めて6本目、コアラーの中にメタンハイドレートのこぶし大の結晶が泥に混じって複数入っていました。表面の泥を取り除くと、輝くような白さです。純度の高さがうかがえました。乗船していた研究者は大興奮です。ほとんどの研究者が、天然のメタンハイドレートを見るのはこれが初めてだったからです。
 そのあとも計量魚群探知機でメタンプルームを探して、その海底部分を目がけてピストンコアラーを打つと6本に1本の割合でメタンハイドレートが入っていました。従来の方法、つまり計量魚群探知機を予察として使わない場合は、100本に1本入っていれば超ラッキーというレベルでした。なんと、観測効率が17倍ほどアップしたことになります。計量魚群探知機を使ったことで、メタンハイドレート研究が急速に進みました。


【ナショナルプロジェクト「表層型メタンハイドレート回収技術の検討」へ参画】

 私は、2016年4月から東京海洋大学の新学部である海洋資源環境学部の准教授になりました。それとほぼ同時期に、「表層型メタンハイドレート回収技術の検討」というナショナルプロジェクトの公募に応募して採択されました。
 このプロジェクトには6機関が選ばれ、各チームが特徴ある回収技術を競っています。
 わがチームの特徴は、ドーム状の膜を拡げて、その膜内で掘削することで、メタンハイドレートを漏れなく回収できるところと、海底面から湧出しているメタン(=メタンプルーム)も漏れなくキャッチできるところです。
 地球温暖化効果が二酸化炭素より25倍ほど高いメタンが海面に出る前に回収してエネルギーに変える、一石二鳥の技術です。
 膜の直径は100mで、東京ドームが海底面に設置されているのを想像していただくと、現実に近いイメージです。
 わがチームは、東京海洋大学、九州大学、新潟大学と太陽工業株式会社で構成され、私が研究代表者です。
 太陽工業は東京ドームなどの天井の膜を作っている会社で、この業界では世界のトップシェアを誇っています。私は、このナショナルプロジェクトに応募するときに、チームの構成を考えました。メタンプルームに関する私の研究に賛同してくれている九州大学と新潟大学は直ぐに決まりました。それから、メタンプルームを一網打尽に回収するための膜を作る会社を探していたところ、メタンハイドレートを回収する膜の特許を取っている民間企業があると紹介されたのが太陽工業でした。私もメタンプルームをめぐって日本と世界各国(アメリカ、オーストラリア、EU全加盟国、ノルウェー、ロシア、中国、韓国)の特許を取っています。(私はライセンス料は取っていません。外国の干渉を許さない、国益のための特許です。)いわば特許連合チームの誕生です。

 メタンプルームはその発見の初期段階では、前述したように海底表面や浅い海底下の表層型メタンハイドレートを見つけるための指標でした。しかし今や、アメリカ、中国、ドイツなどもメタンプルーム自体を有望な資源とみなしています。資源としてのメタンハイドレートは表層型、砂層型(太平洋側に多く政府が従来から取り組んできた、砂混じりのタイプ)、そしてメタンプルームの三分類になっているのが、現在です。

 前述のナショナルプロジェクトは「回収技術の検討」から「回収技術の開発」へと進んでいきます。わがチームは、これからも引き続きこのプロジェクトに参画し、科学と国益のために尽力していきます。応援をよろしくお願いします。(東京海洋大学准教授・楽水会理事)

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