続・おさかなその世界――鰻五題――
幡谷 雅之 (15増大)
◆うなぎかつ
毎週土曜朝に日テレ系で放送している「ぶらり途中下車の旅」。先日静岡県の東海道線を扱っていたので、見た。
旅人は人気の相撲解説者(元力士)の舞の海秀平。三島をぶら~りとしていると、人気の鰻屋に入ろうと思い「うなぎかつ」という看板を発見!これが、どうやら本日のお目当てのとんかつ屋だった。「大和」というとんかつ屋では、三島の名物、鰻を一匹丸ごと、たれをつけて焼き、それにパン粉を付けて揚げる。脂ののった鰻をさらに揚げるのだから、多分くどい味だろうと推察されるが、鰻好きにはたまらないようだ。ちなみにお値段は定食で1,800円。最近の平均的鰻重のそれと比較すると、リーズナブルか。
◆鰻が結ぶ親子の絆
鰻は昔からハレ(注)の食材であり、スーパーで売られ、ふだんでも手軽に食卓に乗るようになった現在でも、程度の差こそあれケ(注)の食材ではない。昨今のウナギの暴騰は困ったものだが、これはまだ鰻がそれほど高くなかったころの話。
日本画家堀文子(1918~)は96歳を越えた今も絵筆を握り、旺盛に作品を生み出している。若いころ彼女は父の大反対を押し切って画家の道に進み、家出して一人貧しいアパート暮らしを始めた。お屋敷のお嬢様の身にすれば、心細かったに違いないが、迎えは来なかった。
ほどなく訪ねてきた父は、部屋には一歩も足を踏み入れず、近くの鰻屋まで娘を呼びつけ、上等な鰻を食べさせると、何ひとつ言わずに帰って行った。
「いま考えると、あれは栄養をつけさせながら、私の様子を見ていたのね。ちゃんと元気でやっているか、自分の目で確かめていたんですね」
明治生まれの父親は、悲しいほど頑固で既然としていた。その物言わぬ愛の深さが、多難な道を歩み続けた娘には、いましみじみとありがたく思われるという。
(壇ふみ、2015)
◆ウナギ好きのギリシャ人
紀元前5~4世紀のギリシャ人、ことに紀元前5世紀のアテナイ市民は魚に目がなかった。魚のためなら金に糸目をつけず、毎朝魚市場に行って新鮮な魚を求めた。彼らは海水魚ばかりでなく、淡水魚も食べた。
江戸落語に「目黒の秋刀魚」があるように、当時のギリシャでは「ウナギはコバイス湖(ギリシャ中部にある大きな湖)に限る」とされた。コバイス湖産のウナギは非常に美味しく、アテナイ人にとって垂涎の的だったという。
焼いたか茹でたか、確認されてはいないが、焼いたらしい。こんがりと焼き色がつくように焼いたと推察される。つまりは、日本の蒲焼と同じ起源だ。蒲焼はもともとウナギを裂かずに、丸のまま竹輪のような形で焼いたものである。タレ(ソース)は、ローマ時代の料理書に出ているが、勿論我らの蒲焼とはだいぶ違う。
ところで、近現代のヨーロッパでは、ウナギはどのように調理され食されているか。デンマークでは燻製、イタリアではあぶり焼き、フランスでは煮込み、スペインでは稚魚のオイル煮などが有名である。ただし、最近は各国で“絶滅危惧種”に指定され、食料としてのウナギは危機的な状況にあり、わが国も含め、残念ながら手軽に口にできる食材ではなくなっている。
◆ウナギ名産地と鰻屋
かつてウナギの主産地といえば、浜名湖周辺を中心とした静岡県遠州地方のほか、愛知県三河地方、三重県中勢地方、鹿児島県、宮崎県などであるが、現在は、鹿児島県、愛知県、宮崎県の三県が常にトップで、静岡県は後塵を拝している。
かつて日本各地にはウナギの名産地があり、ブランドがあった。養殖ウナギであれば、往時の養鰻王国静岡県の浜名湖が今なおかろうじてブランド力を保っているが、他の名産地は、いずれも天然ウナギのそれであり、たとえば高知の四万十川や埼玉県川越の利根川など、各地の湖沼河川あるいは内湾が思い浮かぶ。東京湾も昔はそのような名産地の一つであり、その証拠には、江戸宝暦年間においては、江戸前といえばウナギを指した。
名産地には鰻屋の名店があり、その数の多さで名産地であることの察しがつく。私が22歳まで住んでいた千葉県我孫子市の手賀沼周辺には多くの鰻屋が軒を連ね、中には創業百年を越える老舗もある。今のようにスーパーで蒲焼が買える状況ではなかった当時、ハレの日には鰻屋に行くか、出前を取って鰻を食べたものだ。
昭和40年には手賀沼で11トン獲れていた。手賀沼漁業協同組合によると、それ以前は100トン以上もの漁獲があったという。周辺の漁師たちは8~10月に下りウナギを獲り、東京市場へ出荷していたという。
◆鰻屋の漬物
落語界における戦後名人の一人、八代目桂文楽(1892~1971)の句に
新香が うまいねえ小声の 薄笑い
というのがある。鰻屋で出される漬物は、もともと焼き上がるまでに時間のかかる鰻を待つ間に小腹を満たすために提供されていたものだ。粋な食通はその間お新香をつまみに酒を飲んで待つのだ。脂っぽい蒲焼きを食べたあとの口直しとしても重要な役割を持つ。普通、大根、人参、胡瓜などの糠漬けあるいは浅漬けが出てくる。もし主役の鰻が不味かった場合、客は悔し紛れにこんなことをつぶやくのだ。
注)「ハレとケ」
民俗学や文化人類学において、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。