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2019.07.01 15:42

ホエールウオッチングと商業捕鯨の再開

乾 政秀(18製大)

 私たちの世代にとって鯨は「食べる」ものであって、「観る」ものではなかった。ベーコンといえば鯨が一般的で、豚のベーコンははるかに高価だった。大学の寮では豚カツではなく鯨カツが食べられた。動物タンパクの多くは魚とともに鯨に依存していたのである。1960年の日本人1人当たりの食肉(牛、豚、鶏)消費量は僅か3㎏だったのに対し、鯨を含む魚介類の消費量は28㎏であったから水産物が圧倒していた。このうち鯨は2㎏ほどで、食肉の総消費量にほぼ匹敵していた。

 ところが1990年代に入ると、イルカ類を含めた「ホエールウオッチング」なる商売が全国各地でみられるようになり、鯨は「観る」対象に変りつつある。
 今年の1月に、島旅の一環で沖縄県の慶良間諸島にある座間味島を訪ねた。慶良間諸島はザトウクジラの繁殖地として知られている。このザトウクジラを「観る」ホエールウオッチングが1991年から始まり、四半世紀以上が経った。鯨は「食べる」ものと思ってきたから、鯨を「観る」ことにそれほど関心があったわけではないが、歳をとっても旺盛な好奇心から参加することにした。

 ザトウクジラは夏の間は餌が豊富な北洋海域で過ごし、冬になると繁殖と子育てのため温暖な海に南下してくる。現在、ザトウクジラが繁殖のために集まって来る海域は、国内では慶良間諸島の他に小笠原などが知られている。
 ホエールウオッチングを取り仕切るのは(一社)座間味村ホエールウオッチング協会である。ウオッチングは基本的に午前と午後の2回に分かれており、協会に加盟する船(20隻ほど)に乗って海上にくりだす。昔の鯨見張所よろしく島の2ヶ所の展望所で鯨の動きを観察している人がおり、鯨の位置を各船に知らせる。各船はその情報をもとに鯨のそばまで接近する。

 ザトウクジラは全長15m、体重30トンにもなるから漁船よりもひょっとすると大きいし、ブロー時に大量の海水を吹き上げるので容易に発見できる。そしてホエールウオッチングの醍醐味は、ザトウクジラが胸鰭や尾鰭で水面を叩いたり、跳びはねたり、活発に行動するのをまじかで観察できることにあり、その迫力に圧倒される。後日、二火会(楽水会員の談話会)で話したところ、ザトウクジラが水面を叩くなどの激しい行動をとるのは体表面に付着したフジツボなどを落とすためだと教わった。

 ところで沖縄県では戦後まもない1950年から国際捕鯨取締条約で捕獲が禁止される前年の1962年までザトウクジラを捕獲していた。捕鯨が行われていた時代には慶良間海域からザトウクジラは姿を消していたが、1987年に初めて現れた。その後来遊してくるザトウクジラは年々着実に増加し、慶良間海域で2017年までに確認された総識別個体数(尾鰭の裏側の模様が個体によって異なるので個体識別が可能)は1,566頭に及ぶ。ザトウクジラは捕獲禁止によって確実に増えてきたし、ホエールウオッチングは鯨資源のモニタリングの機能を果たしてきたことにもなる。

 ホエールウオッチングの期間は12月27日から4月5日までの約100日間である。近年の参加者数は5,000~6,000人で推移しており、欧米を中心に外国人客も多い。この時期はダイビングなどの海洋性レクリエーションのオフシーズンにあたり、島の観光入込客の4割をホエールウオッチング客が占める。つまり冬場の島の重要な収入源になっているのだ。
 ホエールウオッチングの参加費は1人6,000円である。日帰りで来る客もいるが、多くは島に泊まる。私の試算では、那覇からの交通費、島での滞在費、土産物代など島に落ちるシーズン中の経済効果は約1億円と推定される。

 ところで座間味島(阿嘉島を含む)の2016年度の漁業生産額は3,700万円であった。隣の渡嘉敷島を合わせても1億円には届かないだろう。つまりホエールウオッチングは漁業を凌ぐ収入を島にもたらしている。 
 海遊してくる鯨は大いなる観光資源となり、島の経済を支える一翼を担っているわけだ。

 さてわが国は昨年12月に国際捕鯨取締条約からの脱退を表明した。これにより、鯨の資源調査を目的に南極海及び北西太平洋で実施してきた調査捕鯨は終焉する。そして今年の7月から排他的経済水域(EEZ)内で商業捕鯨が再開されることになる。

 わが国の沿岸捕鯨は北海道網走市(2社)、宮城県石巻市(2社)、千葉県南房総市(1社)、和歌山県太地町(1社)の6業者によって営まれ、国際捕鯨委員会(IWC)の管理対象ではないツチクジラとゴンドウクジラを対象に捕獲してきた。新聞報道では今年7月から再開される商業捕鯨の参加は日本小型捕鯨協会に加盟する上記6社の5隻とされており、新規参入企業はない。IWCからの脱退によって対象種は制限されなくなるので、ミンククジラなどを捕ることになるようだ。
 また試験操業を担ってきた共同船舶はEEZ内の沖合域を中心に商業捕鯨に参加する可能性があるが、果たして事業が採算にあうのかどうかわからない。少なくとも商業捕鯨再開に対する国民的期待はあまり感じられない。

 鯨を「観る」ことも、「食べる」ことも、海洋生態系が人類に与えるサービスである。
 ホエールウオッチングという商売の登場は「食べる」ことと並んで「観る」ことに価値を置く人が増えた結果といえる。

 ではなぜ「観る」ことに価値を置く人が増えたのか。成熟した社会では経済の「サービス化」が進む。財の消費は相対的に減少し、サービス消費が経済を牽引するようになった。今や1次産業の就業者は4.0%を占めるにすぎず、3次産業の就業者は71.0%を占めているのが現実だ(2015年国勢調査)。ホエールウオッチングは多様化する観光業の1つなのである。

 一方、「食べる」ニーズはなぜ低下しているのか。科学技術の進歩と工業化は世界の農業と家畜の生産に革命をもたらした。過剰生産された食肉はグローバル経済のもとで日本の市場をめざし、食肉の価格は相対的に低下、規格・大量生産された食肉が市場を席捲するようになった。鯨は少数の人々の嗜好品にすぎなくなった。わが国の食肉消費量は戦後ほぼ一貫して増加、2012年には30㎏を超え、半世紀の間に10倍に増えた。ところが魚介類の消費は2000年代に入ってから漸減し、2010年以降食肉と魚介類の消費は逆転している。つまり国民はありあまる食料を前にして、私たちの世代ほど鯨に対する期待を持っていないのだ。

 捕鯨を含む漁業はいうまでもなく太古から続く狩猟産業である。この狩猟による動物タンパクの供給量は、農業の発展によって相対的に低下している。世界の食肉の生産量(2016年)は約3億トン、これに対し同年の水産物の生産量は約2億トンである。水産物の生産のうち養殖業が約1.1億トンであるから、漁業による供給量は0.9億トンにすぎず、動物タンパク(牛乳を除く)供給に占める狩猟産業の割合は18%に低下している。水産業の分野では、「成長産業化」のスローガンのもとで、「漁業」=狩猟産業から「養殖業」=農業へのシフトが政策的に進められようとしている。海における農業革命を起こそうというのだ。

 農業革命によって人類は多様な食を失ったといわれている。食肉といえば牛、豚、鶏に限られ、味の多様性は調理によって確保するしかなくなった。海における農業革命の推進がもたらす結末はこのことから明白である。極論すると限られた種類の養殖魚に生産は収斂しかねない。私たちは、鯨を含めきわめて多様性に富んだ水産物を食べてきたが、それを供給する漁業が今歴史的役割を終えようとしている。私たちはこのような歴史の流れに抗していかなければならないが、海の環境の悪化をみるにつけ悲観的にならざるを得ない。(株式会社 水土舎 最高顧問)

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