柔道部についてのあれやこれや その④ー 柔道部存続の危機回避のためのガイドライン策定ー
鍵山 裕久(32漁生)
このたびの最終回として、柔道部存続の危機を回避するために策定したガイドラインについて記載したいと存じます。
◆東京海洋大学柔道部 部運営ガイドラインの策定
○東京海洋大学柔道部の連続性を維持する。
○東京海洋大学柔道部の稽古量と稽古の質を確保する。
○未来の柔道部員のための柔道部と言う「場」を維持する。
○柔道部員の柔道精神と技術を向上させる。
といった目的のために、2016年「東京海洋大学柔道部運営のガイドライン」を作成しました。(以下、抜粋引用)
《東京海洋大学柔道部 部運営ガイドライン》
〇東京海洋大学柔道部の目的
嘉納治五郎先生の柔道精神に基づき、東京海洋大学の学生として、柔道を通して心身を鍛える事
—嘉納 治五郎先生 遺訓—
「柔道とは、心身の力を、最も有効に使用する道である。その修行は、攻撃防御の練習により、精神身体を鍛錬し、その道の真髄を、体得する事である。そして、是によって、己を完成し、世を補益するのが、柔道修行究極の目的である。」
◆東京海洋大学 体育会 柔道部の有り様について
柔道部は現役の学生のためだけに存在するのではなく、これから将来、東京海洋大学に入学して柔道部に入部してくる未来の部員のものでもある。ある時期の部員が稽古を勝手に止めてしまえば、将来の学生が稽古をする機会を奪っている事と同じである事に注意を払わなければならない。この点に鑑み、年間の稽古内容、計画については、其のとき其のときの学生が過去の稽古内容と現在の状況、将来の状況を鑑み、師範、監督、コーチ、顧問の先生、東京海洋大学柔道部後援会の支援・指導を受けながら決定していく。
また、体育会運動部としての東京海洋大学柔道部の活動は、同好会の柔道部の活動とは違う。東京海洋大学より運動部として認められているだけでなく、広く他大学のみならず、企業、地域社会を含む、社会全体に体育会柔道部として認められているという意識を持って行われなければならない。その意味において、学校の看板を背負っているという自負が必要である。そして、その自負は単に柔道競技の強さだけではなく、部活動自体の質によって担保されるべきものである。
加えて東京海洋大学の前身である東京商船大学、東京水産大学、更にその前の東京高等商船学校、水産講習所時代において、戦前より柔道部活動が盛んに行われてきた歴史の重みについても認識しておく必要がある。
◆柔道における「一本」の意味
最後に、柔道のお話を一つさせて頂きます。柔道を続けていると、「日本の柔道は、なぜ一本を取るという事にこだわるのですか?」と言う質問を良く頂きます。講道館伝日本柔道が、なぜ一本にこだわるのか? 其れは一本が美しいとか、技本位の形であるとか、かっこいいとかの理由ではないのです。
柔道は言うまでもなく嘉納治五郎先生が創始されたものですが、嘉納先生は柔道とはなにか?という問いに対して、以下の三つの要素を挙げています。
- 体育の要素
- 徳育の要素
- 勝負(試合)の要素⇒哲学の要素
良く言われる「柔道はスポーツではない。」という意味は、スポーツ(ここでは体育とほぼ同義として考えます)は柔道の一要素であって全部ではないと言う意味です。一般に、教育には体育・知育・徳育が言われますが、柔道は第一の要素 体育により当然体を鍛えられます。そして、礼儀 心と体をぶつけ合う相手に対する感謝の念などにより徳を育んでいきます。知育に関しては柔道は知識を直接的に勉強する方法ではありませんが、柔道の稽古を積む事により知識を含む大きな智を合理的に身につけることが求められます。つまり嘉納先生は、「柔道」を全人的な「教育」の体系として創始された事がわかります。では嘉納先生は、なぜ柔道の三つめの要素に「試合」を入れたのでしょうか? ご存知の通り「試合」という言葉は、嘉納先生が作られた造語あるいは当て字です。もとの語源は、「死に合う」と書いて「死合」です。武士の死合では当然どちらかの死を持って終わるわけですから、死合を前にして人は死と向き合うことになります。死という、人が誰も避けられない状況を目の前において、それを擬似体験でき、そしてそのことについて考えられる「しくみ」を設定したのです。其れは嘉納先生が「死を目の前において考える事」が絶対的に重要であると考えていたからに他なりません。嘉納先生の東京大学での専攻は案外知られておりませんが、「哲学」です。西洋の哲学を研究したからこそ、20世紀ハイデガーやヤスパースなどの哲学者に先駆けて西洋哲学にとって不十分であった「死」に対する姿勢、思想を研究し、実践哲学として、新しい教育体系「柔道」に再構成したと言えます。嘉納先生は「人は死を知る事により人としての本質に迫り 偉大な事をなしとげる存在となる。」として、柔道修行者が「死を目の前において考える」ことを求めたのです。
さて元に戻って、なぜ一本が重要なのか? 一本の定義はルールブックにあるとおり、以下の四要素です。
- 充分な速さで
- 充分な力強さで
- 背中をつけるように
- 着地のおわりまでしっかりとコントロールしている
つまりは一本を取れる技とは、「速く強い技で相手を頭から硬い地面に叩きつけられる。」を可能ならしめます。固め技もすべて本質は、相手を殺せる状態にする事を持って一本です。
柔道の試合で完全な一本を取られた事のある人は誰でも感じると思います。「殺された。」と、自分の全存在を否定される感覚を持たせる一本負け。試合において「お互いが一本を取り合う」ということは、「お互い了承しあって相手の命を貰い受ける。」と本質は同義なのです。これがあるからこそ、試合は死合となるわけです。これがあるからこそ、自分を成長、完成させてくれる相手に対する感謝が生まれるのです。その意味で、一本取る事を前提としない試合は死合ではないのです。
これが柔道における一本の持つ重要性の本質的な意味であり、柔道において、試合と一本は分かち難い概念なのです。
◆後記
14歳より柔道を始めて50年間、会社員をしながらも、「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす」を心に抱き稽古して参りましたが、未だ木鶏どころか三歩歩くと稽古した事を忘れる鶏並みです(笑)。毎年、いくつかの試合を目標に稽古に励んでおり、現在は実力不足ながら六段を賜り、港区柔道会の指導員、また柔道試合の審判等を行っております。今後も体の動く限り、学生との稽古を通じて、海洋大学柔道部の維持発展の一助になるように努力して参りたいと存じます。
稽古の終わりに、現役学生とともに
前列右より3人目 向井師範、後列右より1人目 戸田監督、2人目筆者