介後の実情
近藤 清彦(23食大)
定年退職した直後に、ちょうど母親が体調を崩し、介護状態となりました。更に、母親と同居して戴いていた叔父叔母夫婦もほぼ同時に介護状態となり、突然の事態に右往左往致しましたので、その一端をご紹介させて戴きたいと思います。
現在は母親も大分、体調が戻り、逆に目が離せないと言う状況になっております。従って、四六時中、母親を見張っているような生活で、周囲からは「どこか施設に預けたら?」と言われる事もありましたが、本人が「自宅以外は絶対に嫌だ」ときかず、週に2日だけ介護保険のデイサービスを利用させてもらっておりますが、止む無く、ちょうど定年退職したタイミングであり、私が実家に戻り介護をする事に致しました。
一方、叔父は私が実家に戻るタイミングで、近所に新設されたサービス付き高齢者住宅に引っ越す事にしておりましたが、その荷物の整理中に転倒し、右足大腿骨骨折と言う重症を負ってしまいました。すぐに総合病院で外科的手術を受けましたが、打って変わって突然の不自由な生活を強いられる結果となり、本人もすっかり落ち込みました。しかも、病院のベッドで寝たきりとなった事も災いして、初期段階ですが認知症も発症してしまいました。また、叔母はその前から既に認知症で叔父が面倒を見ておりましたが、叔父の骨折を機に、取り敢えず短期間で介護老人保健施設に療養を兼ねて預かってもらっている状況です。
叔父叔母夫婦には子供が無く、また親戚も遠方で世話を頼める状況ではありませんでしたので、結果的に私が母親の介護と叔父叔母夫婦の世話を見ざるを得ない事態となりました。その後、介護施設の選定や、転院に伴う手続き、老人ホームの入所申し込み、更にお仏壇や衣類、日常の生活用品など、残った家財の処分などを全部しょい込む形となりました。自分の定年退職後に描いていた新しい生活、目標など、楽しみだったいろいろな思いがすっかり消え失せてしまいました。
私の母親は98歳ですが、短期記憶はすぐ忘れるものの、トイレや着替えなどは自分で出来る為、昨年まで叔父叔母夫婦との3人で、長く一緒の生活を続けて、結果的に母親の面倒を叔父叔母夫婦に見てもらっていた形となっておりました。退職後、久し振りに実家に帰り、母親に様子を聞くと「トイレや廊下などでたびたび転倒する。今日も肩が痛む。」と訴えるので、早速、近所の整形外科に連れて行き、痛み止めと湿布薬を処方してもらい、様子を見る事にしました。しかし、母親がその晩、夜中に突然吐いて、胃薬を飲ませても一向に改善せず、吐いた胃液に血液が混じるようになり、慌てて救急車を呼んで緊急入院をお願いしました。母親は結局、痛み止めに飲んだ薬が原因で胃潰瘍を発症した事がわかり、翌日、長期療養型の病院に転院し、それから約3週間、口から食べ物を摂らず、点滴だけの治療となりました。その結果、体重は大幅に減り、筋肉もすっかり削げ落ちて歩く事さえ自力では出来ない所まで衰弱し、時折、無いものが見えるという幻妄の症状が出て、ついに介護5と言う有り難くない認定を受けてしまいました。 母親はその後、何とかして帰りたいとの一念で治療に専念した結果、体力も少しずつ回復し、自宅に戻って療養するレベルにまでになりましたが、一人では到底、生活できる状態ではなく、私が母親の介護を担う事になりました。
母親の回復度合いは寧ろ驚きで、自宅では歩行器を使って一人で移動しますが、目を離すと、歩行器も使わず庭に出て掃除をしたりする様になり、慌てて嫌がる母親を家の中に連れ戻す事などがありました。また、夜中のトイレでは転倒の心配もあり、結局、親と同じ部屋に寝て、トイレの度に付き添う生活が日常となりました。もともと心臓機能も低下しており、就寝後ほぼ2時間おきにトイレに立つという頻尿状態でした。しかも、時折失禁して、寝間着を汚してしまう事も儘あり、寒い夜中に着替えをさせる事も度々でした。悪いことだとは思いつつも、そんな時には、つい声を荒げて叱責する事もしばしばでした。自分の睡眠不足も重なり、かなりストレスの溜まる毎日でした。見かねた家内が週の半分程、実家に一緒に住んでもらう事にして、今は何とか平静を保っております。
叔父も骨折の手術後、約3週間で病院から出され、そのままリハビリ病院に転院し、そこで約3か月間、歩行訓練を受けました。その間は認知症の叔母は、一時的に介護施設の短期のショートステイを利用したり、更に介護老人保健施設で療養しながら預かってもらう事に致しました。止む無く、夫婦で別々の生活とならざるを得ない状況でした。しかも、費用は倍近くかかり、自分達の年金だけでは賄えず、今後の不安もありましたが、とりあえず、叔父の貯金を取り崩して早期回復を待ちながら、有料老人ホームを探している状況です。
叔父叔母夫婦がもともと移ろうと契約したサービス付き高齢者住宅も、骨折が回復したら、何とか入居させて、新しい生活を始めさせたいと解約せずにおりましたが、理学療法士のアドバイスでも自活は難しいだろうと言われ、結局、一度も住まわずに解約する事となりました。また、総合病院からリハビリ病院、更には介護老人健康施設への転院など、短期間の間に目まぐるしい忙しさとなり、その間、地元の包括支援センターや、そこから紹介されたケアマネージャーのお陰で、何とか乗り越える事が出来たのだと思います。
同時に妻の協力にも感謝しております。
現在は叔父叔母夫婦の終の棲家としての老人ホームへの入所を検討中ですが、介護サービスの内容や、スタッフの木目細かい対応、施設自体の防災、安全対応などは、それこそピンキリで、経済的にも特別介護老人ホームへ入所出来れば有難いですが、どこも高齢者の介護度の高い方々が大勢待機している状況で、こちらに回ってくるのが何時になるか見当もつかない状況です。有料老人ホームは何といっても費用の安い施設はそれなりで、安心して任せられる所はいずれも高額な利用料が必要となる事を思い知らされたと言うのが正直な感想であります。この先、看取りや財産の相続、遺品の処分など、まだまだたいへんな問題が待っております。介護は決して一人では出来ないとつくづく痛感した次第です。