東京農業大学オホーツクキャンパス海洋水産学科での5年間を顧みて
瀬川 進(19増大)
東京海洋大学の無脊椎動物学研究室で教育研究に勤めた後、仕事納めとして、65歳から5年間、北海道の網走にある東京農業大学生物産業学部アクアバイオ学科と2018年4月に改組で名称変更した海洋水産学科で教員として教育と研究に携わりました。
東京農業大学は世田谷のメインキャンパスには水産系部門はありませんが、オホーツクキャンパスでは現在12名の教員が、北海道では北大に次ぐ水産及び海洋生物学系の学科として一学年の定員91名の学部学生と修士・博士の院生に、実学主義を目指した教育と、地域に根差したユニークな研究を行っています。ここでの5年間にオホーツク海の雄大な自然を経験し教育や研究面でも多くを得ることができました。この間に私が得たことの中から、心に残ったことを3つばかり書いてみたいと思います。
一つ目は、授業科目として「海洋と水産の科学史」を担当したことです。東京海洋大学では、無脊椎動物の生理・生態学として主に海洋のイカ・タコ類など軟体動物の生活史とその増養殖をライフワークとしてきました。加えて、幸いなことに海鷹丸で2回の南極航海に参加することができ、しかも、晴海を出航し帰港するまでほぼ4か月間の航海とその間の海と生物の観察をする貴重な機会を得、ナンキョクオキアミの生物学にかかわる研究に携わることができました。海洋大の頃は、これらの経験に基づいて水産動物目線で自然科学全般を見てきましたが、農大での授業は、海洋科学と水産の歴史を学生に教えるという、私にとって新鮮な経験であり、水産や海洋の生物学に対する立ち位置を改めて考えさせられる経験になりました。
今までは自分の専門分野の経験と知識に基づいて物を見ていたのが、自然科学の発展や水産の科学の発展を歴史的に見る過程で、二次資料ではなくできる限り多くの原典に基づいて情報を整理する必要に迫られ、歴史を評論家の価値観ではなく自分の価値観として考えなくてはいけないことを強く認識いたしました。
講義をしてみると、授業のたびに自分の無知に驚き、学び直す日々でしたが、昔と違い、北海道にいてもインターネットで世界中の大学や官公庁、学会、博物館などの貴重な情報を得ることができ、多くの原典を読むことにワクワクしたのも確かです。また、水産系ばかりでなく、農業、畜産、食品、経営系など幅広い分野の学生が聴きに来てくれ、思いもかけない質問が私の宿題となり、学生から教わることが多かったことも楽しい驚きでした。大学の教育の中で、自分たちの専門分野の歴史や成り立ちと将来の可能性をきちんと学生に教えることの楽しさとその必要性を強く感じるとともに、同じ纏まったキャンパスに幅広い関連分野の専門家がいることの大切さを再認識しました。
二つ目は、私の専門分野であった無脊椎動物学の中で、新たに多くの経験と学びがあったことです。私が所属した海洋水産学科の水圏生態学研究室は、海洋のプランクトンを通して北海道オホーツク海沿岸の海洋の生態系と生物生産機構を生物海洋学の視点で明らかにすることを主な目的にしています。私は、南極でのナンキョクオキアミを中心とした大型動物プランクトンと養殖用の餌としての動物プランクトンの研究にも携わってきましたが、主な研究対象が熱帯から温帯の沿岸域の無脊椎動物であったことから、北の海の生物と環境については耳学問だけでした。
オホーツク海沿岸域は、日本海を北上する対馬暖流が宗谷海峡からオホーツク海に流れ込んだ宗谷暖流の影響を強く受けます。これに加えて、樺太沿岸を南下した東樺太海流の影響が加わり、オホーツク海沿岸の水塊は夏には海水浴ができるくらい?暖かく、秋から冬には亜寒帯の冷たい水塊となり流氷が訪れる、1年を周期とした大きな季節変動を示します。この季節変動は水塊の生物の生産に極めて大きな影響を及ぼし、北海道オホーツク沿岸域は全国でもトップクラスの生産性を示しています。しかし、この高い生産性のメカニズムは必ずしも明らかにされていません。
私の所属した研究室では、オホーツク海沿岸域のプランクトンの生活史や生物相などの知見をベースに、この海域の生産のメカニズムを知るための努力をしています。しかし、残念ながら、調査船を持っていないことから、自前での継続的な海洋調査ができません。そこで、すこしでもオホーツク海のことを知るために、オホーツク海に直接開口する能取湖に着目して、10年来継続的な研究を行ってきました。
能取湖は海跡湖で、かつては淡水に近かったのですが、湖口を開くことで直接オホーツク海の海水が流入し、今では周年を通じて塩分33以上の完全な海水の湖になっています。海洋環境の季節変動を見ると、沿岸のオホーツクの水塊の影響を強く受けており、動物プランクトン相も湖に依存する種は認められるものの、オホーツク海の影響が極めて強いことが解ってきました。その結果、能取湖の環境と生物相を詳細に見ることで、オホーツク海の環境を読み解けるのではないかと考え、地道に連続的な記録を集積してきました。プランクトンの定点観測を長期継続しているのは、全国的にも多くありませんから、貴重な成果だと思います。研究室でこの結果を解析するにあたり、海洋の環境の評価、出現するプランクトンの特徴など、研究室のスタッフと議論をするためにも、北の海の構造、環境要因、生物の生産機構など、多くの論文を読み、学ぶ必要がありました。研究室のスタッフもとても親切に丁寧に私にいろいろなことを教えてくれました。
オホーツク海のプランクトンを学ぶ過程で、今まであくまでも生物を主語として考え、環境は生物にとっての生理学的な観点からしか見ていなかった自分に気づきました。また、新たに生物海洋学の観点から海洋の生物を見ることで、今まで必ずしも見えていなかった、環境の変化が生物に及ぼす影響などを、実際の海洋の時系列的な変動など大きな視点から考えることが出来るようになったような気がするのは、オホーツクで学んだ大きな収穫であったと思います。
もう一つ、オホーツクで暮らした中でも忘れられないのは、オホーツクの自然を満喫できたことであったように思います。生物産業学部のキャンパスの周りには、全長5kmのファイントレールというオホーツクの自然に満ちた素敵な自然散策路が整備されており、天気の良い日の昼休みにトレールを散歩するのが私の日課になりました。その延長で、休日には網走湖の探鳥遊歩道、藻琴山、川湯温泉、屈斜路湖、阿寒湖、釧路湿原、知床半島、野付半島、サロマ湖、黒岳・赤岳・旭岳などに足を延ばし、季節折々の北海道の大自然を堪能できました。これは単身赴任だからできたことかもしれません。
今までは、仕事柄かもしれませんが、自然というとつい海ばかり見ていたのですが、オホーツクの大自然に触れたことと、水産ばかりでなく農業や林業についても興味が広がったことから、海ばかりでなく陸上の動物や植物にも興味を持てるようになったことは、私の老後の身近な楽しみが大いに増えたという意味でも、北海道での大きな収穫の一つになったのは間違いないと思います。
もう一つ、必要は発明の母ではありませんが、本当に必要になり追い込まれたら、年齢にかかわらず、新しいことを学ぶ努力が可能であることを実感したのもなによりの収穫でした。(東京海洋大学名誉教授)