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2020.12.01 15:10

「国際的快男児」春日ルイス君の思い出

森 榮(11漁大)

 昭和34年4月、私は東京水産大学に入学した。早速、寮生活に入ったが、入寮当日から、連日のように2年生による1年生に対する「しごき」に見舞われた。毎晩のように2年生による1年生に対する「しごき」があり、とにかく寝る暇がないほど鍛えられた。そんな中、世上では映画の全盛時代であり、特に「姿三四郎」という柔道映画が大人気であり、私もひそかに「水大の姿三四郎」を目指し「柔道部」に入部した。
 当時の「柔道部」は、東京の国公立大会で毎年のように好成績を収めるなど、 国公立大学の中では有力な大学の「柔道部」であった。私が初段を取得し、2段昇段を目指して連日の猛練習に励んでいる頃、メキシコからの留学生である「春日ルイス君」が入部してきた。
 柔道部では、はじめての「留学生」の入部であるとして、本人の世話役として、私が面倒をみることとなった。かくして、春日君とは、毎日正式の練習がはじまる一時間前に柔道場に赴き、ふたりだけの「稽古」に励んだ。その甲斐もあり、2学年の春には、春日君が初段、私が2段昇段を果たした。はじめて「黒帯」を締めた春日君の「自慢気」の嬉しそうな顔は、今でも忘れられないなつかしい「思い出」となっている。こうして柔道部生活を通じて、春日君とは「格別の」親交を深めることができた。
 当時、私は寮の「総務委員」として、寮生活全体の運営と融和に目配せをして、日々努力をしていたところであった。一方、春日君は当時メキシコ映画の「価値ある男」に主演をした大スター「三船敏郎」氏の要請で、三船氏にスぺイン語の「家庭教師」として、レクチャーしていた。その甲斐もあり、三船敏郎主演のメキシコ映画「価値ある男」は、成功裏に上映され「大ヒット」映画となった。

 かくして、私が寮生活も3年次を過ぎたころ、周囲からの推薦もあり、次期・寮委員長の選挙に臨むこととなった。これは、これまで2年生時代から「総務委員」としての実績が評価され、大方の寮生が「森寮委員長」誕生に好意的な見解であり、この分では「無投票当選」が目前となるところであった。
 ところが、ここで「大事件」が起こった。何と、私が柔道を一緒に練習してきた「春日ルイス君」が「対立候補」として「立候補」したからである。これには、私と春日ルイス君との関係を知っている多くの寮生諸君も、首をかしげることとなったのである。
 こうして「立ち合い演説会」も終わり、いよいよ明日「投票日」となった前日の日曜日の午後、スポーツカーに乗った世界の「三船敏郎」と春日ルイス君が「自治寮」の玄関に現れたのである。「世界の三船敏郎」の来場に、寮生はびっくりしたが、更に驚いたことに、世界の「三船敏郎」と春日ルイス君が、自治寮の全室となる61室を「外国製・タバコ」を一箱ずつ配りながら、「春日ルイスをよろしく!」と挨拶してまわったのである。この世界の「三船敏郎」の登場で、「寮委員長選挙」は一挙に「雲行き」が怪しくなってしまったのである。
 かくして、私はこの事態に対処すべく、その日の夜、急遽、私の「支持母体」である「運動部」の「キャプテン会議」の開催を要請、改めて「協力要請」を行ったところであった。その甲斐あって、翌日月曜日の「投票結果」は、250対150の大差で「圧勝」私の寮委員長が決定した。

 当選直後開催の「寮委員会」では、「春日ルイス対策」について激しい議論が交わされたが、多くの委員からは「春日ルイスを退寮処分にせよ!」との声が上がったが、「そんなことをしたら、国際問題になり、大学当局に迷惑をかける!ここは穏便に対処する!」ことで「一任」を取り付け、事態の収拾を計ることができた。 その後、「厚生委員長」となった春日君の活躍は一段とめざましく、1年生の諸君を存分に活用し、全寮の清掃に力を尽くし、見違えるような清潔な「寮」に変えた。あらためて春日ルイス君の「実行力」に、心からの敬意を表するところである。

 卒業後、春日君はメキシコに帰国し、メキシコ水産界の「大立物」となり、仄聞するところでは、日本の水産各社が、メキシコ周辺の水産業に関与する際になにかとお世話になったとのことである。
 この度、春日君の訃報に接し、改めて在りし日の春日君を偲び、ご冥福をお祈りするばかりである。

合掌

*Luis・春日・Osaka氏 略歴*

1965年 東京水産大学卒業、1965年~ メキシコ国ナヤリ州政府勤務、1968年~ 教育省海洋科学技術局ベラクルス水産高校校長(同国水産高校設立に尽力)
1970~1976年 商工業省漁業局局長、退職後は水族館設立に尽力

海鷹丸による遠洋航海の途次、1965年12月27日に寄港地のAcapulcoからMexico cityへ見学に行った際に、乗組員・学生一同が宿泊の便宜を受けた春日邸で撮影。最前列右から2人目が、春日ルイス氏。

略歴・写真提供:木原興平元教授(13漁大・13専)

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