魚の流通の変化~200カイリ規制と流通革命の中で
松本和明(24漁大)
1.1972年4月に東京水産大学漁業科に入学
この年の2月に、連合赤軍による浅間山荘立てこもり事件が発生した。この事件で、逮捕された立てこもり犯のひとりが水大を中退した人物であったため、事件後に水大生への世間の風当たりが強くなった。そして同年4月に入学した新入生の私たちは大学から寮への入寮を禁止された。1976年(昭和51年)に、私は漁業科を卒業しニチモウ株式会社に入社した。200カイリ問題の影響を受け、この年の水大の卒業生は水産業界への就職は大変厳しく、従来の漁業会社や水産会社に行ける人はごくわずかであった。他方、流通業界では流通革命が起きていて、その中心にいたスーパーが大量の新卒学生を採用したため、多くの水大の卒業生が流通業界に就職をした。
2. 200カイリ規制の幕開けで魚を獲るから買う時代に
1976年にアメリカが200カイリ規制を設定し、メキシコ、カナダ、EC諸国、ソ連などの沿岸各国がその動きに続いた。
その結果、それまで公海として多くの日本の遠洋漁船が自由に操業できた北太平洋漁場の大半はアメリカ・ソ連・カナダの管理する漁場となり、日本の遠洋漁業は事業の形を変えながらやがて各国の沿岸200カイリから完全に締め出されてしまった。同様に、北太平洋のみならず世界中の沿岸200カイリでも日本の遠洋漁船の多数が締め出され、世界の魚は日本の漁船が獲る時代から沿岸国が漁獲したものを買う時代に変わっていった。このような200カイリ規制による環境の変化により、水産各社はその事業構造の転換を迫られた。ニチモウも従来の漁網漁具製造事業を大幅に縮小して、それに代わる新たな事業の創出を求められた。まさに、この転換の時代に私は当社に入社して、魚を国内外で買付して国内市場へ販売する当時の新規事業を担当した。初めに、当社が漁網や漁具を販売していた国内の船主さんが獲った魚を購入し販売することからスタートし、やがて海外の生産者から買付し輸入することに拡大していった。当時は、アメリカのアラスカが最大の買い付け先であったが、すでに日本の大手水産会社や商社が殺到して先行投資も行っていて、いまさら当社のような後発の新規参入者が、先行している競合他社と競ってもビジネスの成功は望めない、厳しい競争の状況であった。そこで当社は、当時各社があまり参入していなかったロシア(当時はソ連)に進出していった。
3. 流通革命
一方、当時の流通業界は流通革命の主役であるスーパーの台頭により、小売りの魚の販売方法が大きく変わりつつあった。スーパーが「チェーンストアオペレーションの導入」や「対面販売をセルフ販売に」変えることで、魚を一般の加工食品と同じように「プロダクトアウトからマーケットイン」に基づく規格化、標準化した商品に加工して大量に販売する必要が生まれた。すなわち、生鮮品である魚を買付の現場で品質のむらを無くし、サイズをそろえることが求められ、それを実現することが買付した魚を冷凍原料として販売したり、加工した時の利益の確保に繋がった。
先に記したように、当社の買付輸入事業は買い付け先をアメリカからロシアに転じたが、当時は社会主義のソ連であり、漁業の生産においても質より量を優先していた。そのため品質のむらを無くし、サイズを規格に沿ってそろえるための現場指導を目的として、われわれ社員がみずからオホーツク海やカムチャッカ沿岸で操業していたソ連漁船に乗り込んで乗船指導を行った。当時のソ連船は建造から30年近くたった老朽船で、設備の改良は難しく、船内での加工方法の改善や、包装資材を日本から持ち込んで冷凍の効果を上げるなどの工夫をした。そして、少しでもスーパーのニーズに合った加工品に加工しやすいような魚の冷凍原料の生産に努めた。
4. 魚の流通の変化
200カイリ規制の影響を受け、魚の供給の仕組みが「獲るから買う」に変容し、さらに流通革命により、小売りの販売方法が「チェーンストアオペレーション」による「対面からセルフ」に大きく変わった。品質の良い、サイズが規格通りにそろった魚の冷凍原料を買付して、規格に沿った均一の製品に加工してスーパーへ直販する。薄利多売と高回転率で消費者の手元へ大量に送りこみ、利益を追求することになった。これらの変化により、魚の生産と消費を結ぶ流通が大きく変わり、このことが水産業界における仕事や事業のあり方を大きく変えた。「自社漁労」から「競争にさらされた買付」に変わることで原料の魚の原価が高くなり、スーパーへの直販により供給責任を負い、欠品が許されず在庫期間が長くなり金利、保管料などの在庫経費の負担が増えた。時にはスーパーの規格から外れた原料の転売が必要となり、赤字での転売も
起きてしまった。このように販売時の少ない粗利に対し、在庫期間中の経費の増加や転売による赤字の発生で最終の利益が取りづらくなり、時には利益の無い赤字取引となってしまうこともあった。その結果、水産物の商事事業は長期でみて収益の上がらない、もうからない事業となってしまい、水産会社では水産品以外の事業を増やす多角化が進み、商社では水産事業の廃止や縮小が行われていった。そして、中小の加工業者や零細な小売商は優勝劣敗の競争にさらされ、淘汰が始まった。
さらに、最近では中国、韓国や東南アジアをはじめ世界的に寿司や和食の人気が増大するのに合わせ、各国の水産物の需要が拡大した。それは、大半が外食向けで、高級料理の食材として水産物が使われるため各国が競って高値で買付けし、世界の水産物の買付競争が激化した。一方、日本は外食と家庭用の2つの需要が混在しており、買付できる価格が競合する各国に比べ相対的に安く、いわゆる日本の「買い負け」が多くの魚種で発生している。
5. 今後の魚の流通
今後の日本への魚の供給は大きく以下の3つに分かれると思われる。
(1)日本沿岸の200カイリ内で、資源管理を強化し持続可能性を高めた、漁船漁業で漁獲された魚
(2) 国内外の洋上や陸上で蓄養や養殖で育てられた魚
(3) 海外の漁船漁業で漁獲され、海外から買付してくる魚
上記のうち、国内の外食に向けては普段食べられないごちそうというニーズにふさわしい高級魚が選ばれ、家庭内需要に向けては毎年の漁獲量と価格を見ながら小売価格に見合う魚種が選ばれるようになる。上記の3つの供給元から、様々なチャンネルを経由して外食や家庭内の需要に向けて魚が流通して行き、時にはチャンネルの特性に合わせるための加工が必要とされる。以前は、この加工に携わる加工業者が流通の途中に存在し相場決定の主導権を握っていたが、水産物の商事事業が薄利となり、今では生産者や輸入商社が国内外の工場を利用して自ら加工を手掛け、量販店やネット販売業者に直接販売するように変わってきた。
これからの魚の流通を考えると、流通革命から始まったこのような流通の短絡化は今後もますます進み、引き続き中小の加工業者や零細な小売商は優勝劣敗の競争にさらされる。そして、日本の200カイリ内で漁船漁業に従事したり蓄養や養殖を行う生産者と、海外から買付してくる商社が、外食や家庭内需要に直結した様々なチャンネルの開設者を経由して消費者に販売していく、流通のさらなる短絡化が進んでゆくと思われる。
(ニチモウ株式会社 代表取締役社長)