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2022.08.01 17:00

さかなクンとつくったイシガキフグの稚魚

森田 哲朗(47育成36修15博)

 イシガキフグのことをあまりご存じない方も多いかと思います。イシガキフグはハリセンボン科に属し、世界中の熱帯、亜熱帯域の海に棲む、体長50-60センチくらいの魚です。フグの仲間ではありますがフグ毒を持っておらず、沖縄の方ではハリセンボンと一緒に「アバサー汁」に入れて食されているようです。水族館でもよく見かけますが、知名度が高いわけではなく、一般の方ではハリセンボンと混同されている場合も多いように思います。私自身、イシガキフグについて名前は知っていましたが、自分が研究対象にするとは夢にも思っていませんでした。

 少しだけ自分のことを書きますと、私は1995年に東京水産大学の資源育成学科に入学し、4年生のときに竹内俊郎先生が教授をされていた水族養殖学講座の門を叩きました。そこで、当時まだ研究室を立ち上げられて間もない吉崎悟朗先生に師事し、「遺伝子組換えニジマスを用いて医薬品タンパク質を作る」というテーマで博士号を取らせていただきました。その後、2005年に日本水産株式会社に入社し、約16年に渡り養殖技術開発に向けた研究に従事し、アジ科やサバ科の魚類を中心に飼育経験を積みました。そして2020年末に、吉崎先生が所長として立ち上がった本学の水圏生殖工学研究所の教員として幸運にも採用していただくこととなりました。
 当研究所は、吉崎先生のグループがそれまで開発されてきた魚類の生殖幹細胞を用いた数々の技術(凍結保存技術や代理親魚への移植技術、培養技術など)が国際的に高い評価を得ると同時に、実用可能な技術レベルに達しつつあることから、技術のさらなる高度化と社会実装をミッションとして立ち上がった組織です*。その中で私は、前職での海産魚養殖の経験を活かすべく、館山ステーションをメインフィールドとして当研究所のミッションに即したテーマ、具体的には「代理親魚を用いた隠れた優良養殖対象魚の発掘」(対象はアジ科魚類)に着手しました。そして2021年の春、そのアジ科魚類の研究が本格的に始まろうかという頃に、さかなクンと出会いました。

 ご存じの方も多いと思いますが、さかなクンは忙しい合間を縫って館山の漁師さんの船に乗り、定置網漁業に参加しています。そこで漁師さんの作業を手伝いつつ、珍しいけれど売り物にはなりにくい魚が入網すると譲りうけ、自宅(フィッシュハウス)で飼育したり、YouTubeやテレビで紹介したり、時には館山ステーションで研究をしている教員や学生のために提供してくれます。2021年3月頃だと記憶していますが、さかなクンが館山ステーションに訪れた際に私と魚の研究の話で盛り上がり、その勢いでお互いにお願いをしました。私からは「珍しいアジ科魚類を入手できたら提供してほしい」とお願いし、さかなクンからは「イシガキフグを繁殖して欲しい」とリクエストいただきました。さかなクンは長年、イシガキフグを癒しの魚(セラピーフィッシュ)として普及し、世の中に役立てたいという夢を持っていて、そのためにも繁殖して数を増やしたいという事でした。そんなさかなクンの熱意に触れ、吉崎先生とも相談のうえ、研究テーマとして取り組むことになりました。それが2021年5月のことで、すぐにさかなクンは定置網に入った個体や、自宅で飼育していた個体を館山ステーションに持ってきてくれました。体長30から50センチほどの個体が10尾以上集まり、飼育を開始しました。

図1.館山ステーションで飼育中のイシガキフグ親

 イシガキフグの繁殖生態や初期生活史は、これまでほとんど分かっていません。稚魚に関する記録は非常に少なく、外部形態を記録した文献は国内で1962年に、南アフリカ共和国で1986年に発表された2報で、それぞれモノクロの絵が掲載されたのみでした。文章では「20 cmまでの若魚は沖合で浮遊生活をし、青味がかった体色である」と簡単に紹介されています。産卵に至っては、全く記載がありません。このように圧倒的に情報が少ない魚を人為的に繁殖することは非常に困難に思え、長期戦を覚悟しました。そこで初年度はまず、イシガキフグの生殖腺の発達状態を観察し、成熟に必要な諸条件(体サイズや水温、日長など)を推定するところから始めようと考えました。しかし飼育を開始してほどなく、2021年7月に丸々と太った1尾が水槽内に大量の卵を放出したのです。
 メスのイシガキフグが放出した卵は、透明で水面に浮く分離浮性卵でした。それらを顕微鏡で観察したところ、全て不受精で発生していませんでした。このことをさかなクンに報告したところ、さかなクンが自身で飼育する際にも卵を水槽内に出すことがあり、また水族館などでも同様の報告があるものの、いずれの場合も不受精卵であるとのことでした。そうこうしているうちに、再び別の個体が水槽内で放卵し、やはり不受精卵でした。ここまで2回、卵が放出されましたが、いずれも非常に美しい卵で、それまでの経験から十分に受精能力がありそうに感じました。すなわち、イシガキフグは水槽内で十分に成熟しているにも関わらず、何らかの理由で産卵行動できずに未受精卵を放出してしまうのだと予想しました。

 

図2.仔稚幼魚

 この後、9月に水温が下がり始めるまでに、さらに3回、別々のメスが卵を持ちました。この頃には、腹部の膨満具合から排卵タイミングが予想出来てきたこともあり、メスのお腹を押して採卵を試みました。すると上手く卵を得ることができ、オス個体より採取した精子で媒精することで、5万粒以上の受精卵を得ることに成功しました。この卵を水槽で培養したところ3万尾の仔魚が孵化したため、50日間飼育して全長2センチ程度の稚魚を約700尾つくることが出来ました。これは世界初の事例だと思います。今回は、何より状態の良い親魚を持ってきてくれたさかなクンの功績が大きいと思います。採卵できた3尾のうち2尾はさかなクンが自宅で療養していた個体であり、得られた卵も良質でした。さかなクンの想いが結実したと言って良いでしょう。

 今後は、さかなクンの「イシガキフグをセラピーフィッシュとして普及したい」という夢に向けて種苗の安定生産を目指すと同時に、まだまだ謎の多いイシガキフグの繁殖生理や仔稚魚の生態について明らかにしていければと思っています。同時に、私の本業であるアジ科魚類についても、さかなクンのおかげで材料が多く集まっていますので、成果を挙げるべく研究に邁進してまいります。

(東京海洋大学水圏生殖工学研究所 准教授)

*水圏生殖工学研究所にご興味を持たれた方は、吉崎先生が寄稿された記事「水圏生殖工学研究所開設にあたって」https://rakusui.or.jp/mailmag/2021/03/031628234223に詳しいので、ぜひご参照下さい。

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