「漁業情報学研究室」~小倉通男先生を偲んで~
根本 雅生(31漁生)
令和5(2023)年の初め、恩師である小倉通男先生(51漁)の訃報(2023年1月11日逝去)が届きました。享年96歳、翌月には97歳の誕生日を迎える予定でした。ご家族の皆様にとっても突然のことだったとのこと、普段から杖をついてですが、お一人で散歩をされたり、お風呂等、ご自身の身の回りのことは、すべてお一人でされていたとのことです。新年のご家族の集まりでは、「百歳は、もうすぐそこだね。」とお話をされていたとお伺いしました。
ここでは、小倉通男先生との出会い、そして、竹内正一先生(7漁大)とともに立ち上げられた「漁業情報学研究室」についてお話をさせていただきます。昭和57(1982)~63(1988)年度の7年間、小倉先生は教授として研究室の教育・研究を牽引されました。普段から白衣を着られていて、とても優しい面影、背筋がしゃんとした姿勢で学生よりも速い足取りで歩かれる姿が目に浮かびます。教官室は、とても資料が整理・整頓されていて、ちりひとつ落ちていないほどのお部屋であったことがとても印象的でした。私事、とても反省すべき点ですが、この整理・整頓に関しては、まったく受け継ぐことができませんでした。
初めて小倉先生と接したのは、2年次の館山での「漁業実習」の時でした。和船の課業を担当されていて、櫓による漕ぎ方をご指導いただきました。先生はスイスイと簡単に進まれるのですが、私たち実習生は漕ぎ方の左右の力バランスが悪く、ジグザク操船になってしまい、なかなか目的の方向に進ませることができませんでした。そんなできの悪い実習生に対して、笑顔でチョイチョイと見本の漕ぎ方を教えていただいた時の笑顔の先生を忘れることができません。
余談になりますが、当時は浪人生が大半を占めていた時代で、自由時間の外出時にはアルコールが入った勢いで、館山実習場の蚊帳は破壊するは、門限に向けて駆け戻る際に何故か商店街の薬局の「のぼり旗」に手を出した仲間がおり、実習担当の先生方には大変ご迷惑をおかけし、用意されていた始末書が無くなるという不名誉な実績を残してしまいました。実習最終日には、まき網操業で獲れたクロダイ・スズキ等がご迷惑をおかけした薬局に献上されたことが思い出されます。
品川キャンパスでは、2~3年次に「漁法学」の講義・実験・演習を通じて、いろいろと教えていただき、先生のもとで卒業研究をと考えるようになりました。そのような折(1981年10月)に、漁業生産学科に「漁業情報学研究室」が設立されました。漁法学研究室から小倉先生が、漁撈学研究室から竹内先生が移動され、2研究室から3研究室へと組織替えがあり、漁業の三要素(探魚・集魚・漁獲)、それぞれが研究室として動き出しました。学科としては、その他に漁具学研究室、資源解析学研究室があり、5研究室体制となりました。私は、昭和57(1982)年の卒業論文指導研究室として志望し、同期7名とともに研究室1回生として配属されました。先輩が誰ひとりいないこともあり、先生方と同期のメンバーとともに日々問答しながら、研究室としての新たな視点・切り口を模索していた気がします。まだまだ研究などと認められる解析内容ではなかったのですが、日々自由に卒業研究に取り組ませていただいたこと、そしてご指導いただいたことにとても感謝しています。
学部卒業後、大学院修士課程に進み、引き続きご指導いただきました。研究室では、小倉先生・竹内先生の研究や部活動等のつながりで、多くの楽水会同窓の先輩方をご紹介いただき、現場調査や職場訪問時にいろいろな接点を持たせていただき、今の私があります。また、現場での調査等に快く送り出していただき、水産庁調査船での冬季のマイワシ等の卵稚仔資源調査、修論研究の一環として北海道根室市花咲港で1ヵ月ほど早朝のさんま棒受網漁船への聞き取り調査等を経験させていただき、様々な現場での経験を通して、多くの方々と交流を持つ機会が得られ、いろいろな課題・問題点等について考えさせられました。まだまだだなと壁にぶつかり、研究室に戻ってから、いろいろとお話を聞いていただきながら、的確なご助言をいただいたことは忘れられません。小倉先生は、「いか釣り漁業」、「さんま棒受網漁業」の漁況、漁場選定、操業位置選定について研究に取り組まれ、多くの卒業生を社会に送り出されました。
大学院修了後、当時はまだ博士課程が設置されていなかったため、他大学の門をたたき、水産資源学について学ぶことができました。その道程の中で学生とともに切磋琢磨しながら、教育・研究に携わっていきたいという想いが強くなり、小倉先生がご退官後の平成元(1989)年11月に、運よく海洋生産学科助手として着任することができました。
その後、所属は海洋環境学科、海洋環境科学科へと変わり、資源・海洋情報解析学研究室へと名称変更してきましたが、周りの方々に支えられながらどうにか歩んでくることができました。小倉通男先生、そして竹内正一先生にご指導いただいたことに対して、感謝の言葉しかありません。いつもお元気なお姿のイメージが強かった先生に、直接お会いしてお伝えすることができなかったことは、痛恨の極みです。
最後になりますが、小倉通男先生は奥様とご一緒に、霊峰富士山を臨む緑豊かな霊園にてお休みになられていらっしゃいます。ここに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
(東京海洋大学 教授)