柔道部についてのあれやこれや その②-東京商船大学柔道部・OB会、及び東京水産大学柔道部・OB会との統合経緯-
鍵山 裕久(32漁生)
第2回は、東京商船大学柔道部・OB会について、及び本校柔道部・OB会との統合経緯について記載したいと存じます。
◆東京商船大学柔道部
東京水産大学と同様に、柔道は戦前、東京高等商船学校時代より盛んに行われたと多くの先輩方より伺ってはおります。特に昭和2年卒業の石割 正様は、全日本学生選手権で優勝されたという輝かしい記録が残っております。
◆東京商船大学柔道部 部長及び師範
1923(大正12)年度より1943(昭和18)年度まで 三船 久蔵 十段
1962(昭和37)年度まで 部長 上坂太郎 教授 師範 老松九段、猪熊七段、中村六段
1965(昭和40)年度まで 部長 石坂順次 教授 師範 松川哲男 先生
1976(昭和51)年度まで 部長 上坂太郎 教授 師範 堀安高綾 先生
1987(昭和62)年度まで 部長 兼 師範 堀安高綾 助教授
1989(平成元)年度まで 部長 堀安高綾 助教授 師範 菅原正明 先生
1991(平成 3)年度まで 部長 堀安高綾 教授 師範 小沢雄二 先生
2000(平成12)年度まで 部長 堀安高綾 教授 師範 関水大八 先生
2003(平成15)年度まで 部長 堀安高綾 教授 師範 向井幹博 先生
2003(平成15)年度(統合後)より現在 向井幹博 先生
※段位は当時の段位
錚々たる柔道家のお名前が並んでおります。とりわけ、嘉納治五郎先生の直弟子で高弟であられました三船先生は「隅落」(俗称 空気投げ)で知らぬものはいない「柔道の神様」とも呼ばれた方です。両校とも嘉納治五郎先生の直弟子を師範に頂けたことは、大いなる幸運と存じます。
越中島キャンパスで掲げられている書額「心練存妙奥」は三船先生の書ですが、三船先生は好んでこの書を残されています(写真1)。音読みで「おうみょうぞんれんしん」、読み下し文では「奥妙は心を練る事に存り」。意味としては、「奧妙(奥義)を極めるには、平素から絶えず心身を鍛えることで、初めて出来るようになる。」となります。「猫の妙術」1727年 佚斎樗山(本名、丹羽十郎左衛門忠明)著にも通じる武のあり様を示したものと存じます。前回、ご説明した品川キャンパスの杵淵先生の「書額」と併せて両大学柔道部にある二つの書額は、東京海洋大学柔道部員の進むべき方向性を示しています。そして、営々と積み重ねてきた猛稽古の幾星霜。今も学生と稽古を静かに見守っています。
(写真1)越中島キャンパス 三船先生による書額「心練存妙奥」
◆両大学柔道部及びOB会の統合
大学の統合に伴い、多くの運動部も統合に動きました。柔道部については下記の流れで、まずOB会が統合され学生の後援体制を整えたのちに、柔道部自体を統合するという流れで進みました。
- 2002(平成14)年 東京商船大OB安本博通様より、山村和夫先輩(18漁大)に両校柔道部OB会・両校柔道部統合に向けての書簡
- 同年9月 東京商船大学柔道部OB会80周年祝賀会にゲストとして山村和夫先輩(18漁大)、関口 博先輩(25海工)が参加して、統合についての意見交換
- 2003(平成15)年 東京水産大学柔道部OB会(柔友会)の山村和夫事務局長、戸田裕治先輩(24製大)、関口 博事務局幹事と東京商船大学柔道部OB会の金子副会長、木曽正勝様 外岡正好幹事長、原内修二副幹事長を始めとする多くの両校OBが、統合後の共通理念の明確化、具体的内容、会則設定等の打ち合わせ
- 2004(平成16)年4月より両校 柔道部の統合稽古及び対外試合参加開始
- 同年7月10日 両校OB合同総会を開催し、正式に東京海洋大学柔道部後援会及び東京海洋大学柔道部発足
統合後も毎年5月に後援会年次総会を実施し、学生との試合(OB戦)、学生及び後援会員同士の親交を深め、結束固く学生を支援しています。
◆合宿の想いで
朝6時「起床!!」の掛け声で始まる合宿。40年ほど前までは年7回程度学内(主として寮の集会室を寝所に)で行っていました。朝稽古は、柔道の稽古以外に、品川神社の階段うさぎ跳び+ダッシュを10周、東京タワー、泉岳寺、皇居までのランニング、品川ふ頭から品川キャンパス迄 馬飛びで帰ってくる(約2時間) 等々、様々なメニューがありました。その中でも忘れられないのが、次に述べる「スタンバイ合宿」です。
◆スタンバイ合宿
ご存じの通り、「スタンバイ」は水産講習所時代から東京水産大学にいたる迄、遠洋航海出航の際に行う伝統儀式です。「快鷹丸殉難歌」に合わせて、快鷹丸が遭難した時の模様を表現するために全員で海水をくみ出す様子を表現します。私の時代位までは専攻科の先輩を見送るために柔道部では「スタンバイ合宿」を行っていました。なぜか、この合宿だけ他の合宿より早い朝5時に起き、ポンドで海に向かって2時間 「スタンバイ」をやり続けます(写真2)。
写真2 スタンバイ(1982年海鷹丸遠洋航海出港時 前列中央筆者)
「なぜ これが柔道部の合宿なのですか?」と先輩に尋ねれば、「腰を落とすことで相手を投げる力、技を防ぐ力が養成されるのだ。腰が高―い!! もっと落とせ!」
「あいは~せなんだかょーーー そりゃっーーー」
現在、始める前の号令、初期から伝わる調子を含めて正しく伝承しているのは柔道部だけと考えられます。私が卒業後も林 敏史海鷹丸船長からのご依頼、また時に応じて、柔道部学生とその他学生有志を交えたメンバーにスタンバイを指導して参りましたが、今後、伝統が絶えないように「スタンバイ保存会」を結成したいとも考えております。
次回 「柔道部についてのあれやこれや その③」は、現在の東京海洋大学柔道部について記載したいと存じます。