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2023.11.01 16:16

柔道部についてのあれやこれや その①-東京水産大学柔道部の歴史-

鍵山 裕久(32漁生)

 東京海洋大学柔道部及び柔道部OB会の歴史についての概要、現在の柔道部の活動状況及び学生が学ぶ嘉納治五郎先生が構築した哲学などについて、4回に分けて拙文ながらご報告させて頂きます。まず第一回目は、東京水産大学柔道部の歴史概略について記載いたします。

◆東京水産大学柔道部

 本校における柔道は戦前、水産講習所時代も盛んに行われたと多くの先輩より伺ってはおりましたが、その時代の記録は残念ながら見つかっておりません。第二次世界大戦後、柔道はGHQにより「日本教育制度に対する管理政策」(昭和20年10月22日 覚書)により禁止され、文部省は学校における武道活動について2度にわたり徹底した禁止通達を行い、完全に学校教育から締め出しました。その後、柔道関係者の懸命なる陳情と努力により、1951(昭和26)年より活動が許可されました。この禁止期間と重なるように水産講習所及び東京水産大学は1945(昭和20)年8月、東京越中島の校舎を進駐軍によって接収され、1947年3月、神奈川県横須賀市久里浜の旧軍施設に移転し、その後 1957年4月、現在地 品川、元海軍経理学校の跡地に移転しました。此の間 久里浜では、教室を使い密かに柔道稽古を盛んに行った事を多くの先輩より伺っております。多くの学校が柔道を行っていない中で柔道が再開された事も功を奏し、昭和25年から昭和30年代「柔友会」の初代会長 寺田栄一先輩を始め多くの先輩が、私立大学も参加する多くの柔道大会で素晴らしい成績を残されています。さて移転した品川のキャンパスは元海軍経理学校の校舎であったため柔道と剣道が廊下を挟んで一つの屋根の下にある大道場(それぞれ150畳)があり、東京水産大学に引き継がれた段階で端を取り壊して三分の二の大きさ(各100畳)になりました(写真1)。この道場も老朽化が進み、昭和58年(1983年) に建て替えられました。新道場計画時、私は3年生で主将の谷村君らと道場の設備・仕様について決定しています。新道場のこけら落としには当時の東京水産大学柔道部OB会(柔友会)の寺田会長のお取り計らいで東海大学柔道部 佐藤 宣践監督(当時東海大学教授、1974年全日本選手権連覇者)及び山下泰裕様 (現日本オリンピック委員会(JOC)会長、ロサンジェルスオリンピック金メダリスト)にお越し頂き、山下選手との10人掛け試合を行いました。その際私もその一人でしたが、柔道部同期の宮沢君に「組んだ瞬間に写してくれ。後があると思うな」と依頼し、見事個人的には家宝となる写真を得る事になりました(笑)(写真2)。

 (写真1)
 昔の柔道場内部と柔剣道場の正面入り口(1981年撮影)         



(写真)2 山下泰裕氏 筆者との試合写真(1983年新道場こけら落とし時)

 品川キャンパス新旧道場では多くの名選手が活躍されました。前述した昭和25年からの学生柔道復活時の活躍、昭和40年代には柔道世界選手権金メダリスト 高木 長之助氏と安房高校でライバルであった石井幸一先輩、かみそり内股の須藤文敏先輩(現柔道部後援会会長)等々 名選手について枚挙に暇がありません。
 そして、平成15年(2003年) に東京海洋大学統合後、平成16年より東京海洋大学柔道部として活動をしています。

◆東京水産大学柔道部師範

昭和24年度から       杵淵 政光 先生(九段)
昭和61年度まで       松川 哲男 先生(八段)
平成12年度まで       秋田 武 先生(八段)
平成15年度(統合後)より現在まで 向井 幹博 先生(七段)
※段位は最終又は現在

 歴代の先生の中で杵淵先生は嘉納治五郎先生の最後の直弟子で、終戦まで江田島の海軍兵学校で武道師範として柔道を教授されておられました。ご存じの通り海軍兵学校は官立の学校で最も早く柔道を取り入れ(明治20年)、講道館四天王の一人山下義韶先生を嘉納先生が師範として派遣しています(写真3)。現在、品川キャンパスで掲げられている書額「力賜道揉」は杵淵先生の書ですが(写真4)、これと全く同じ内容で嘉納先生が書かれた書額が海軍兵学校の道場にも掲げられていた事が判ります(写真5)。音読みとしては「じゅうどうしりょく」。読み下し文としては「道 柔らかなれば 即ち 力 賜う」とされています。

※揉をあえて、「心技をもむ」、「しなやかな動きと思想」と言う意味も含めて、「やわらか」と読んだとされている。

 第二次世界大戦終了後、海軍兵学校が閉校となったため、多くの兵学校の学生及び卒業生が東京水産大学、東京商船大学に入学されています。私が乗船実習していた時の海鷹丸の宝谷船長、航海学の柳川先生等。このような関係も有り、杵淵先生が東京水産大学の柔道師範になられたと伺っています。

 松川先生は東京商船大学の師範も務められた先生で、私も大勢の柔道部員と共に先生のご自宅に訪問してご馳走になり、奥様が私の高校の先輩であった事から二人で校歌を歌ったことがついこの前の事のように思い起こされます。

 現在 師範であられます向井先生は全日本大学柔道体重別選手権大会優勝、グッドウィル・ゲームズ優勝など輝かしい実績をお持ちの方で、講道館少年部の指導においても画期的な成果を出されておられます。東京商船大学の師範として平成13年に就任して頂き、両校が統合後、統合した東京海洋大学柔道部の師範として学生にご教授頂いております。そのご指導のすばらしさについて、まだまだ学生が「もっと教えを乞おう」という意気込みが足らないようにも感じます。

次回「柔道部についてのあれやこれや その②」は東京商船大学柔道部・OB会について、及び本校柔道部・OB会との統合経緯について記載したいと存じます。加えて、柔道部合宿と水大伝統のスタンバイについても記載したいと存じます。


(写真3)海軍兵学校での嘉納治五郎先生(前列中央)と杵淵先生(後列右端)


(写真4)品川キャンパス柔道場 枡淵先生による書額「力賜道揉」


(写真5)海軍兵学校柔道場 嘉納治五郎先生による書額「力賜道揉」

 

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