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2017.07.31 16:20

続・おさかなその世界――海女の歳時記――

幡谷 雅之 (15増大)

 2010年の調査によれば、日本の海女は少なくとも18道県に2174人といわれている。うち973人と半数近くが三重県におり、石川県197人、千葉県158人、静岡県153人と続く。

 静岡県で海女の活躍するのは伊豆半島沿岸にほとんど集中する。平山晴康著「海女の歳時記」は、半島先端の南伊豆における昭和50年代末期の海女の実態をつぶさに描いて興味深いので、抄録して紹介したい。

 著者は、明治36年(1903)現在の南伊豆町下流に生まれ、戦前は職業軍人(陸軍主計大尉)、戦後は農協職員などを経て、執筆時は悠々自適の毎日。浜へ出て海女の生態を観察し句を詠むのを日課としている。俳句は「狩」(鷹羽狩行主宰)に所属。

◆口開け(磯開きとも)

 3月の声を聞くと待望の口開け(解禁)が間近となり、一冬じっとしていた海女たちも活気づいてくる。口開けは天草、若布、さざえ、鮑の順で別々に日を定めて行う。4月、いよいよ天草の口開けが目前に迫る。

 「明日は午前8時から天草の口開けを行います」と村内放送が流されると、海女たちは準備万端怠りなく、当日には七つ道具の籠を背負って三々五々漁協の前に集合し、喧噪の一刻が過ぎる。

    籠負ふて急ぐ磯路の天草(てぐさ)海女  晴康

 口開けは、村では一番稼ぎの多い日だから、海女のうち一人でも冠婚葬祭等で参加できないときは、口開けをしない。

◆海女の種類

 海女には樽海女(板海女とも)、ギリ海女、簡易潜水海女の別があり、また採るものによって天草海女、鮑海女、年少の海女を稽古海女と呼ぶ。

 樽海女とは、樽の両面をふさいだ浮樽を使う海女。樽に網袋(スカリ)を縛り付け、獲物を入れたり、海女が水面に浮上した時胸を預けて休むのに使う。

   浮樽に胸を預けて海女の笛  晴康

 ギリ海女とは、主として夫婦で舟を使って作業する海女のこと。妻は潜水作業に専念することにより、樽海女より10~15秒潜水時間を延ばすことができ、漁獲量の増加は夫の日当を払っても余りある。

   夫(つま)の手に託すや海女の命綱  晴康  

 簡易潜水海女とは、船上から送られる圧搾空気を使って作業する海女で、絶えずエンジンかけて、ポンポン音を立てているところから、地元ではポンポン海女と呼ばれている。他の海女の数倍の漁獲量がある効率の良い漁法であるため、漁場は深いところに限定される。

 また、漁獲するものによって、天草海女、鮑海女などと呼ばれるが、鮑海女は息の長い優れた技量を要求されるため、一名鮑海女(あびあま)と呼んで一目置かれている。

◆海女の浜小屋

 浜小屋は海女が活動する根拠地である。そこでは、出漁の準備をしたり、焚火で暖を取ったり、寝転んで休息したりする。海女は海から上がると、まず天草は籠に入れて覆いをしておき、鮑、サザエ等は海中に活かしてから体の潮落しをする。

   砂利浜に海女着干すなり炎天下  晴康

 終わりの時の汐落しには、シャンプーを使って髪を洗い軽く化粧し、十分に暖まって休息後、採取品の計量をして漁協に引き渡し、海女小屋の一日が終わる。

   潮落す海女は黒髪ねんごろに  晴康

◆境界どり

  各漁協(支所)には漁業権の境界線があり、堅く守られている。口開けの前に各部落から海女がいっせいに出動して、境界線の両側200m内外の海産物を採る。これを「境界どり」という。冬の間海から遠ざかっていた海女は、すこぶる緊張し体も慣れていないため「寒い、寒い」の連発である。

◆岡どり

 岡どりとは、潜ることなく下半身を水に浸して、腰を曲げながら水中眼鏡を使って覗き、手の届くところにある天草を採る方法である。息の短い人や水圧で耳の痛む人、潜水のできない人、年寄りの海女などが岡どりの主役である。岡どりのできる場所には良質の天草はなく、稼ぎは専門の海女に遠く及ばない。岡どり海女には浜小屋もなく、船も使わない。

◆とまい

 「とまい」とは男船頭のことで、海女を船に乗せて漁場まで運び、潜水している間はその付近に錨を打って、上がる合図があると、浮樽や獲物や海女を船上に引き上げ岡まで運ぶ。海女にとってはなくてはならない人で、彼の機嫌を損ねると不利な扱いを受けるのでとても気を遣う。大勢の海女に取り囲まれてちやほやされる、男冥利に尽きる職業ではあるが、何かと陰口をたたかれる存在でもあり、知らぬが仏の好人物である。

◆海女の信仰

 海女は海底深く潜り息をつめて働くので、身に危険の及ぶことは避けられない。だから、「神頼み」の信仰も人一倍強く、縁起を担いだり迷信めいたことにも気を遣うので、近隣の神社はもちろん、時に貸し切りバスを使って参詣旅行にも出かける。

   海女たちの願いひたすら初詣  晴康

◆浦仕舞

 10月中旬。漁期も残り少なくなってきたので、資源保護の見地から、早々に海の仕事を切り上げる。これを「浦仕舞」といって、この日以降は一切「海止め」となる。

 海女にとっては、ひと夏親しんできた海ともしばらくのお別れ。口開けから半年余りの苦楽を思い出し、感慨無量の一日である。

 ひと夏を通じた稼ぎ高のうち、天草の採取量は概算払いのため、漁協の決算後に決算されて割り戻しがある。これが正月の費用に充てられるので、海女たちはこれに大いに期待する。

 浦仕舞の行事は、お互いの無事を喜び合いながら宴が催され、来年の豊漁を祈りつつ一年の締めくくりをする。

   事なきも祝いて海女の浦仕舞  晴康

 

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