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2017.12.01 14:08

原発事故から6年半、福島沖漁業のいま

乾 政秀(18製大)

  2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生、10mを超える津波が東京電力福島第一原子力発電所を襲いました。わが国の原子力発電所は水蒸気を水に戻す熱源として海水を使用していますが、津波により電源を喪失した福島第一原発の1~3号機は原子炉を冷却できなくなり、炉心が溶融しました。この事故により福島県沖の漁業は約1年3カ月にわたって全面的な操業自粛を強いられたのです。水産物の放射能汚染と福島沖の漁業はどうなっているのか、事故から6年半を経た現在を報告します。

 バブルを開けて原子炉内の圧力を逃がすベント作業と水素爆発により、炉内の核分裂生成物が大気中に放出されました。大気中の放射性物質の多くはやがて海洋に降下しました。一方、冷却のために加えられた水はデブリ(溶融した核燃料などのゴミ)に触れて高濃度の汚染水となり、これが海に流出しました。つまり放射性物質の海への降下という面的汚染と原発からの直接流入という点源汚染、この2つの経路で福島県沖の海は汚染されたのです。

 代表的な核分裂生成物であるCs137の大気中への放出量は広島に投下された原爆の約1,000倍、海洋へのCs137の負荷量は20ペタBq(ペタは1015、ベクレル)と推定され、チェルノブイリ原発事故によって海洋にもたらされた負荷量に相当します。ただ、チェルノブイリ原発事故の場合は大気中に広く拡散した後(つまり薄められて)、降下したのに対し、福島第一原発の場合は点源からの直接負荷が多かったことから放射能汚染はより深刻でした。一方、人類史上最悪といわれたイギリスセラフィールド社の核燃料再処理工場からの漏えい事故では、Cs137の総負荷量は20ペタBqとされていますが、こちらは1952~1990年までの長期にわたって流出し続けたものでした。このように、福島第一原発事故は、短期間に、点源から、高濃度の放射性物質が海に負荷された点で、人類史上最悪の放射能汚染だったのです。

 海洋に流入した放射性物質の濃度は、潮汐や海流(恒流)によって希釈され、時間の経過とともに急速に減少しました。また、粘土鉱物などに吸着され、あるいはプランクトンなどの生物に取り込まれて海底に沈降した放射性物質も徐々に減少しています。ただ、海水ほど希釈効果が高くないため、依然として原発事故前よりも高い濃度レベルにあります。

海水中の放射性物質は、餌から、あるいは鰓や体表から吸収されるなどの経路を経て海洋生物に取り込まれました。事故直後、コウナゴから1万Bq/㎏を超える放射性セシウムが検出され、センセーショナルに報道されたことを記憶されていること方も多いでしょう。事故後、福島県は「水産物緊急時モニタリング調査」を開始し、毎月700検体前後の水産生物について追跡調査をしています。事故直後に基準値(100Bq/㎏)を超えた検体数は90%を超えていましたが、1年後には約20%に減少、4年後の2015年3月のイシガレイを最後に基準値超えの検体数はゼロになりました。また全検体数に占める不検出(検出限界以下)の割合は、2016年6月以降は95%台になり、さらに2017年9月のモニタリング調査では全検体が不検出になっています。こうしたデータから水産物の放射能汚染は、事故後4年目以降、ほぼ終息したと考えられます。

 福島県沖の漁業は、事故後全面的に操業を自粛していましたが、2012年6月から県北の相馬双葉漁協の沖合底曳網漁業から試験操業がスタートしました。操業海域を沖合北方域に限定し、3種類の軟体動物だけが漁獲対象でした。試験操業とは、「モニタリング調査で安全が確認された魚介類を選定し、小規模な操業と販売を行い、流通先の確保と出荷先での評価を調査するために試験的に行う漁業」です。県南のいわき市漁協でも事故から2年半後の2013年10月から試験操業が始まりました。

その後、試験操業の対象魚種、漁場、漁法は拡大してきました。現在は政府により出荷が制限されている10種を除くすべての魚介類が漁獲対象となり、漁場は福島第一原発から半径10㎞圏内を除くすべての海域で操業されています。また、いわき地区の沿岸流し網、相双地区の小型定置網を除くすべての漁業種類が試験操業の対象になっています。

 震災前の福島県沖の漁業生産は約2万5千トン、約80億円でしたが、2016年の試験操業の実績は、2,100トン、4.7億円でした。2017年内には数量、金額ともに震災前の10%を超えることは確実な情勢です。また、震災前の約6割に相当する組合員が試験操業に参加しています。ただ、試験操業の範囲がほぼ全面的に拡大したにもかかわらず、生産量が低い水準にとどまっているのは、操業日数、出漁日あたりの操業頻度が通常操業よりも少ないこと、つまり漁獲努力量が少ないことが原因です。生産量を増やしても、売れるかどうかわからないことが漁獲努力量を増やせない理由になっています。

試験操業で漁獲された水産物は、当初、試験流通を分担する仲買人組合との間で「相対」で取引されていましたが、相双地区では2017年3月から、いわき地区では2017年9月から、震災以前の入札・セリに戻っています。

 このように、遅々たる歩みでありましたが、福島県沖の漁業は復興しつつあり、生産は震災前の約1割の水準に回復しています。今後、市場等での福島県産水産物の受入れが拡大すれば、復興に拍車がかかることは間違いありません。ただ、東電敷地内に保管されているトリチウムを含む処理水の扱い次第では、大がかりな風評被害が発生する恐れもあり、予断を許さない状況が続いています。

 この詳しい内容は、(一財)東京水産振興会が発刊する「水産振興」の第600号に「原発事故から6年半、放射能汚染と福島県沿岸漁業の歩み」と題してとりまとめております。興味のある方は、同会の栗原さんに問い合わせてください。

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