母校と福井県の学び
小坂康之(49食品)
凄まじい閃光と轟音を響かせながら種子島宇宙センターからH2Bロケットが打ち上がる。
― 夢は願い続ければ本当に叶うものなのだ ―
“生徒の思いと地域の希望が詰まったサバ缶”が宇宙に飛んでいった。巨大な重力に逆らいながら、最後には宇宙に吸い込まれるように消えた。さらに半年後、令和2年12月、世界初となる高校生が開発製造した鯖缶が国際宇宙ステーションISSで喫食された。「ジューシー。」「味がしっかりしみていておいしい。」と野口宇宙飛行士の発信するYouTubeの第一号に食レポをいただいた。生徒たちとともに動画を見ると、地域の水産教育にまい進してきた20年間の記憶が鮮明に思い浮かんでくる。
私は、日本潜水界の祖である須賀次郎(7増大)氏の導きを受け、水産高校の教員を目指した。そして、福井県立小浜水産高校の小松崎善成教諭(46育成)の紹介で赴任した。水産の町小浜には、大学の講義や研究で学んだ水産学を活かせる魅力的な現場があった。「昔は、アジモ(アマモ)がたくさん生えて魚が湧いとったで。」「へしこは塩を両手がっぽり、せも入れんとあかんのや、でも何でそうするかはわからん。」「先生、定置の小魚何かに使えんか?」時には漁船に乗り込み網を揚げ、ある時は、加工場で魚の処理を手伝いながら、「これが水産か、これはおもしろい。」と思った。「生徒たちにも学校での学びを活かせるこの感覚を経験させることで何か変わるのではないか。」と考え、早速、生徒たちを現場に連れ出した。生徒自身が地元の水産業の問題から課題を設定し、大学や研究機関と解決していく課題研究の授業は、大成功だった。生徒は見違えるほど変化した。地域の水産業関係者の声に傾聴し、目を輝かせながら取り組んだ。それを見ていた同僚の教員にも前向きな変化があった。「先生、とっつきにくいと思っとったけど水産のため、生徒のためにも頑張るのを見て、協力することにしたわ。」改革に一番反対していた長老の実習助手が賛同してくれるようになった。こうなると次々に成果が出始め、成功する先輩たちを見て後輩たちもますます主体的に学習に取り組んだ。「エチゼンクラゲもなんとかできんか?」漁港に足を運んだ生徒が水揚げをする漁師たちに頼まれた。エチゼンクラゲを煮たり焼いたり、蒸したり。2年かけてクラゲの粉末を開発し、地元企業と連携しクッキーとして全国の水族館に売り出した。粉末化には当時の東洋水産株式会社相談役 森和夫氏(39製)が支援してくれた。
これらの活動では大学で学んだ教科書やノートを引っ張り出して、母校の先生方のお世話になった。私自身も、へしこの研究を行い、福井県立大学大学院で博士号をいただいた。毎日朝方まで実験を行い、大学から高校へ勤務する生活を続けた。研究の過程では、中央水産研究所の里見正隆先生(40食品)や母校の恩師である浦野直人名誉教授には、微生物の同定でご協力いただいた。へしこの研究成果を生かし、岩手県宮古市でもサクラマスのへしこを開発した。もちろん現地でもOBが支えてくれた。
たくさんの活動の中で最も大切にしていたのが、宇宙日本食の課題研究の取り組みであった。若狭地域の食品衛生の遅れを危惧して高校の製造工場でHACCPを導入した。当時、一般的な地域の食品工場を模して作られた工場では、無謀と言われた。しかし、大学時代に行った寄附講座の海外研修での学びが、ゆるぎない導入への意欲となった。研修はノルウェーをはじめとするヨーロッパの食品製造、流通の現場で生の声を聞かせていただいた。寄附講座の岩成和子先生は、日本の水産業へのストレートな意見を私たち学生へぶつけ、議論の場を与えてくれた。ノルウェーのトロムソでは、どんなに小さな工場でもHACCPを実施していたことに驚いた。「これは我々にとって大事な輸出品、君たちの車と同じだよ。」と、工場担当者が教えてくれた。施設や設備などのハード面が重要視されるHACCPだが、実際は衛生管理の捉え方や運用の工夫などソフト面で大きくカバーできることを学んだ。HACCP認定においては大日本水産会で勤務されている大学のOBからもたくさんの助言をいただき、ソフト面でカバーし低価格の設備改修でHACCPを導入できた。今では、本校の工場は地域の企業の研修や視察の場となっている。
しかし、そこからが面白い。「先生HACCPは、NASAが開発したのだったら、このサバ缶宇宙食に飛ばせるんやろ?」「面白い、やってみよう。」最初は、生徒とNASAにメールを送ったり、東京まで自費で出向きJAXA担当の出版会社を訪ねたりした。生徒の主体性を大切にしたいと考えていた私は、生徒の課題設定を生徒自身が思考することを優先したため、なかなか進まなかった。ある年は脱線して、サバ缶ではなく当時流行した「宇宙生キャラメル」を開発してしまった。ある年は誰も引き継がず、進まなかった。学校の統廃合も経験し、活動開始から7年、若狭高校で再び生徒が研究を引継ぎ、何百ページにも及ぶJAXAへの申請書類を作成、保存検査や粘度や味を改善する研究を行った。中でも生徒たちは宇宙飛行士の求める「濃い味付け」や「家庭的な味」という難題に応えるための様々な仮説を設定し、取り組んだ。2018年11月1日、宇宙日本食として認証をいただいた。世界初、高校生の作る宇宙食として、宇宙飛行士も来校し『鯖街道、届け国際宇宙ステーション!』と題して祝福していただいた。現在、本校の工場で製造したサバ缶が日本人宇宙飛行士のため、国際宇宙ステーションに届けられている。
一方で再び困難がやってきた。統廃合した若狭高校は進学校であり、受験のための授業時数確保のため、長時間の研究や実習が疑問視されることがあったのだ。生徒や保護者へ説明すべく教育の評価研究を実施した。母校の佐々木剛教授(38養殖)の協力を得て、研究活動で得られる教育的な効果を示すことができた。
今では、アメリカロサンゼルス、台湾の高校と共同研究を実施、教育に関する研究の国際フォーラムを主宰することに繋がった。生徒が主体的に実施したことは、「経験」として蓄積されていく、体験は等しく体験したものに教授されるが、「経験」となるには、周囲の社会や仲間との間の中で、何を得たのか自らが認知することが重要である。そういう意味で実学である水産学は「経験」となりやすい。「経験」は心の中で自分たちの人生を切り開いていく上で土台となっていく。
振り返れば、困難な状況になる度に母校での学びやOBの方々のご協力、そして母校で得られた「経験」が常に私を支えていた。感謝の言葉で言い表せない。教育現場から水産海洋教育の研究と実践を行い、母校に貢献したい。
(福井県立若狭高等学校 教諭)
*上記については『さばの缶づめ、宇宙にいく』(イーストプレス)で出版した書籍に詳しく記しています。宜しければご一読ください。
イーストプレス(小坂康之 著/林公代 著)
1,650円(税込)