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2024.04.01 17:28

崩壊の危機に直面する沿岸漁業(1)アワビ類

乾 政秀(18製大)

はじめに

世界有数の漁業国であった日本は、1970年代に200海里時代を迎えると、遠洋漁業の大幅な縮小を迫られた。
 さらに戦後200万トン前後で比較的安定して推移していた沿岸漁業の生産量は1990年に200万トンを下回って以降減少の一途をたどり、2016年からは100万トン以下の状態で低迷している。しかもその内容を見ると、近年資源が回復し急増しているマイワシが寄与していることから、多くの地先資源は激減の様相を呈している。
 今まさに日本の食と文化を支えてきた多くの沿岸生物種が崩壊の危機を迎えているのだ。その危機の現状を種ごとに10回ほどのシリーズでレポートする。

アワビの歴史と文化

 日本列島でアワビが獲られてきた歴史はおそらく縄文時代に遡るだろう。

図1 浜尻屋遺跡から発見されたアワビの貝殻    (東通村教育委員会提供)

商業的に取引されてきた歴史も古く、図1は青森県尻屋崎で発掘されたアワビ貝塚の写真である。14世紀前半から15世紀末、つまり室町時代の遺跡で、文化庁の史跡名勝天然記念物に指定されている。この遺跡からはアワビを炊いた窯跡が発見されていることから干しアワビを作っていたと考えられる。また中国製の陶磁器や古銭が出土しており、当時から輸出されていた可能性が高い。

 アワビはまた古代より伊勢神宮をはじめ朝廷や神社に奉納された貝であり、贈答品に付けられる熨斗(のし)は本来アワビの肉の薄く切って延ばし、乾燥させたものであった。また、甲斐地方では古くから「煮貝」という伝統食品がつくられてきた。
 さらにアワビを干した乾(かん)鮑(ほう)は清の時代から干しナマコやフカヒレとともに「俵物」の一つとして輸出され、外貨を稼いでいた。

 マグロで有名になった青森県大間町はもともと最高級の乾鮑の産地として香港では知られていた。もう50年ほど前のことになるが、著者は大間町にあったマルエー稲葉商店の乾鮑の工場を見学したことがある。四角形の建物の中庭に煮たアワビが干されていた。外からは全く見ることができず、侵入も難しい構造になっていたのが印象に残っている。

アワビの種類と漁業

アワビ類は北海道から鹿児島県まで広く分布し、その種類はクロアワビ、マダカアワビ、メガイアワビ、エゾアワビ(クロアワビの亜種)である。この4種と同属のトコブシ、フクトコブシは統計上「その他の貝類」に分類されている。
 アワビの生育水深は潮間帯下部から水深20m付近までの海藻類が繁茂する有光層にほぼ限定される。
 アワビ類の漁業は、①潜水によるものと、②船上から箱眼鏡で海底を覗き鉤などで獲る方法(見突き)に分けられる。潜水は基本的に素潜りである。昔は褌一丁であったが今はウエットスーツを着用する。地域によってはヘルメット潜水やスキューバを認めている。
 素潜りは男の場合は海士、女の場合は海女と書き、いずれも「あま」と呼ばれる。海女による漁獲は三重県志摩地方や石川県の舳(へ)倉島(ぐらじま)など全国各地に伝統漁法としてかろうじて残っており、この伝統漁業を残そうと三重県鳥羽市にある「海の博物館」は「海女サミット」などを開催してきた。
 見突きは10mを超える長い竿を操って漁獲するので長い経験を要する。つまり素潜りも見突きも特殊な技術のため、後継者が少ない。

激減するアワビ漁獲量

 わが国のアワビの漁獲量のピークは1970年ごろで6,500トンほどだった。その後漁獲量は減少の一途をたどり、1980年代後半から減少傾向が顕著となった。直近の2021年には658トンまでに減少している。この半世紀の間にアワビ漁獲量は1/10になってしまったことになる(図2)。


 国際自然保護連合(IUCN)は、2022年12月に世界の生き物の絶滅危険度を評価したレッドリストの最新版を公表し、絶滅危惧種としてクロアワビ、メガイアワビ、マダカアワビを指定している。
 種類別のアワビ漁獲量は集計されていないが、長年アワビの研究に携わってきた山川絋さん(13増大)によると、メガイアワビとマダカアワビは岩場に潜んでいて、流れてきた海藻類を食し、積極的に海藻を食べに移動しないため一層資源の減少が著しいという。

アワビの産地

 アワビ類は沖縄県を除く都道府県で漁獲されており、わが国沿岸岩礁域に生息する最もポピュラーな腹足類である。
 表1に1988年と2021年の主産地とその漁獲量を比較した。長崎県は五島列島や壱岐、対馬などの島嶼部を抱え、海岸線の総延長は北海道に次いで長いことから磯根資源に恵まれ、アワビの漁獲量は最も多かった。岩手県とトップ争いをする時代が長く続いたが、長崎県の漁獲量は激減している。
 近年におけるアワビ産地の特徴は、長崎県、三重県、山口県、福岡県などの西日本各地、つまり比較的暖かい海域において減少が著しいことである。逆に北方に位置する岩手県や宮城県が主要産地に置き換わった。ただし両県とも1988年の漁獲水準と比べると大きく落ち込んでいる。

       表1 アワビの有力産地の変化と漁獲量

1988年
2021年
順位 県名 生産量
(トン)
シェア
(%)
順位 県名 生産量
(トン)
シェア
(%)
1 長崎 580 14.8 1 岩手 90 13.7
2 三重 406 10.4 2 北海道 74 11.2
3 山口 372 9.5 3 宮城 74 11.2
4 岩手 322 8.2 4 千葉 69 10.5
5 福岡 278 7.1 5 愛媛 40 6.1
6 千葉 245 6.3 6 福岡 40 6.1
7 愛媛 223 5.7 7 山口 34 5.2
8 宮城 170 4.3 8 三重 22 3.3
9 徳島 161 4.1 9 徳島 21 3.2
10 大分 156 4.0 10 島根 19 2.9
11 島根 115 2.9 11 長崎 18 2.7
  全国 3,913 100.0   全国 658 100.0

          [漁業・養殖業生産統計年報(農水省)より作成]

アワビ流通の成功者

アワビは産地ごとに禁漁期があるから、安定的な供給のためには蓄養機能が必要である。全国の産地からアワビを買い集め、巨大な陸上のプールで蓄養し、全国の消費地市場に安定供給を計っていた有力問屋が神野商店の神野知社長であった。

著者はもうかれこれ45年ほど前、つまり日本のアワビ流通量が最も多かった時代に大阪の泉佐野にあった神野商店の蓄養場を訪れたことがある。ちょうど関西国際空港の建設が決まり、埋め立てを開始しようとしている時期であった。

関空の工事の影響で蓄養場に供給する海水が濁り、アワビに打撃を与える恐れがあったため取水口に濁度計を設置してモニタリングをすることになったのである。水産庁南西海区水研の所長を最後に著者のいた会社に再就職された桑谷幸正さん(養47回)と一緒に神野さんにお会いした。

神野さんから土産として干しアワビ(蓄養中に死にそうになったアワビを加工していた)を2個いただき、「台湾にもっていったら2晩遊べるぞ」といわれたのをなぜか鮮明に覚えている。

その後、島めぐりの旅で、徳島県の阿南市の沖に位置する伊島に行って驚いた。神野さんはこの島の出身だったようで、島の神社の境内に神野さんの全身像が建ち、島に1.8億円を寄付したことが記されていた。アワビはこうした一代の成功者を生んだ。

種苗放流とその効果

わが国では「つくり育てる漁業」の掛け声のもと、栽培漁業の推進が国の水産政策として進められてきた。

1963年に瀬戸内海栽培漁業協会が設立され、同年から早くもアワビの種苗生産研究がスタートしている。1973年からは各県に栽培漁業センターの整備が順次進められ、1977年にはアワビの種苗生産が本格化した。紫外線照射による産卵誘発や循流水槽などの技術開発も生産を後押しした。1979年には国営栽培漁業センターの整備も始まり、日本栽培漁業協会が設立される。

アワビは高価なことから栽培漁業の対象として最も重要視された種の一つである。図3はわが国のアワビの種苗生産量と放流量の推移を示したものである。東日本大震災の影響で震災後の4~5年は落ち込んだものの、それ以前は3,000万個前後の稚貝を生産し、毎年、2,000~3,000万個を放流してきた。

年間2,000万個の稚貝(殻長30㎜前後)を放流し、歩留まりを10%として200gサイズのアワビを漁獲したと仮定すると、漁獲量への寄与は400トンになるはずだが、現実の漁獲量はほぼ一方的に下がり続けてきた。

「論より証拠」でアワビの種苗放流は漁業生産に寄与しなかったことは明らかである。アワビに関する限り、人工種苗放流は徒労に終わった。


漁獲量減少の原因

 アワビは共同漁業権魚種で地先の重要な資源であることから、全国各地の漁協やその傘下にある部会等では「口明け日」を決め、操業時間、殻長サイズ、漁法をはじめ漁獲量をも規制して、資源の持続的利用に努めてきた。このように資源の利用はきわめて抑制的であったといえる。また、部外者による密漁を監視し、さらには放流用アワビ稚貝の中間育成に取り組み、自ら種苗を生産する漁協も現れていた。
 つまり漁獲量減少の原因は漁業者による乱獲ではないことは明らかである。こうした漁業者の自主的な活動や努力もむなしく、なぜアワビの漁獲量が減り続けてきたのだろうか。
 最も疑われるのがアワビ類の餌であるアラメやカジメ、ホンダワラ類などの大型海藻の群落、つまり藻場の減少ないし消失である。この藻場が消失する現象は、宇田道隆が「海と漁の伝承」でふれているように昔から「磯焼け」として知られていた。ただかつての磯焼けは局所的、短期的にとどまっていたのに対し、今日の西日本を中心とした磯焼けは21世紀に入って見られるようになり、広域的、かつ長期にわたっている点に大きな特徴がある。
 磯焼けの拡大にはガンガゼなどの未利用のウニ類とアイゴやイスズミなどの藻食性魚類による食害が大きく影響している。近年の水温の上昇によって、かつては夏季を中心とする一時期だけ回遊して来るだけにとどまっていた藻食性魚類が長期にわたって定着するようになり、食圧を高めた結果なのだ。おまけにこれら魚種は一般的に市場価値がないから積極的に獲らない。

 大型海藻類を魚類などからの食害から保護するために網囲いや籠などを設置する実験が、水産庁の「水産多面的機能発揮事業」や「離島漁業再生支援交付金」などによって西日本各地で取り組まれてきた。この食害防止策によって藻場を局所的に再生させることに成功している事例が多い。この事実は水温の上昇が直接、大型海藻類の生長を阻害しているのではないことを証明している。つまり理論上、藻食性動物の資源量を減らせば、藻場が復活できるわけだ。

 例えば対馬では「そう介(すけ)」プロジェクトと称し、アイゴやイスズミを積極的に漁獲して、徹底した加工利用を進めることで、食害で壊滅してしまったヒジキの再生に成功しており、人の取り組みによって変化した自然環境を再生し、アワビの餌を増やすことは可能なのである。ちなみに津島氏は大型改装を餌とする愛護とイス済みの流通加工を支援するために1キログラム当たり100円を助成しており、2022年度は33.1トンの食害魚を漁獲した。また市内の学校給食(対象者は約2,300人)を「対馬の海を守る給食」と位置づけて、食害魚を提供している。
 なお磯焼けの他に、漁業者以外の人たちによる密漁の影響も否定できない。また少数の親貝をもとにした大量の人工種苗放流に伴う遺伝資源の多様性の喪失、あるいは本来分布していなかった海域へのエゾアワビ放流による生態系のかく乱などについても今後検証が必要だろう。

アワビ養殖の失敗

 アワビは最も高価な貝類であり、しかも年々漁獲量が減っていたから、1980年代に入ると、これを養殖する動きが目立ってくる。
 アワビ養殖は、①漁業者が中心になって海面で実施するものと、②主として異業種からの参入者が陸上水槽で実施するもの、に大別された。
 前者はアワビの人工種苗を籠に入れて垂下、あるいは生簀に収容して餌の海藻類や人工餌料を給餌する方法であった。アワビは水温が20℃前後でよく成長するので、南では夏に成長が止まり、北では冬に成長が止まることになり、養殖期間は長くなった。当然、その間に斃死などのリスクを伴う。いくら「一口アワビ」と称して殻長7㎝ほどで販売しても採算がとれなかった。
 後者は陸上にコンクリートで水槽を作り、海水をポンプアップする方式である。これを全国規模で展開したのが技研工商と当時の日魯漁業であった。種苗生産部門と中間育成、成貝生産を分業化するものであったが、こちらもみごとに失敗した。海水をポンプアップするための動力費や設備投資が重荷になった。最後まで種苗生産部門として残ったコスモ石油の松山製油所はもう10年ほど前に完全に撤退している。
 著者も広島県生(いく)野島(のじま)にあったアワビ養殖場のマーケティング調査などをお手伝いしたこともあるが、こちらもあえなく倒産。日本のアワビ養殖は悲惨な結末に終わった。

席捲する韓国産養殖アワビ

 日本のアワビ養殖は失敗に終わったが、隣国・韓国のアワビ養殖は堅調に推移している。
 韓国からのアワビの輸入量は近年急増している(図4)。2022年のアワビ類の総輸入量は財務省の貿易統計によると2,081.4トンで金額にして70億円であった。総輸入量の97%は韓国から輸入された養殖エゾアワビである。


 2021年の国内の漁獲量は658トンであったから、輸入量は国内生産量の3倍強に相当する。つまりアワビの自給率は24%ということになる。一方、輸入の平均単価は3,300円/㎏であるから、国産の天然アワビと比較すると半値にすぎない。
 房総半島のローカルスーパーでは韓国産養殖アワビが販売されている。かつて日本有数のアワビ産地であった房州は今や様変わりしてしまった。
 韓国の主産地は莞島(ワンド)で、同国の約8割をこの海域で生産している。この海域は265島からなる多島海で、湧昇流が発生しやすく、成層期の夏季は、湧昇流に伴って低層からの栄養塩類の供給と水温の低下が起こり、餌のコンブ養殖を可能とし、かつアワビの成長に適した20℃前後の水温が確保されているものと思われる。韓国はこうしたアワビ養殖の適地が存在していたことが日本と大きく異なる点である。
 以上見てきたように、日本のアワビの市場は悲しいかな韓国からの養殖エゾアワビがその太宗を占めている。しかも韓国での種苗生産や養殖の技術はもとはといえば日本から伝えられたものである。歴史の宿命とはいえさみしいかぎりだ。日本人が長らく「ハレ食」として食べ、伝えてきたアワビの食と文化は歴史的転換を迎えている。

 著者の論点は「暗い」かもしれない。伝えたい真意は「暗い」現実を直視し、「明るい」水産業の未来をこれからの人たちに築いていって欲しいと願うからだ。水産伝習所、水産講習所の先人たちが築き上げてきた水産大国の再構築を求める「檄」として理解してほしい。

                                 [株式会社水土舎 最高顧問]

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