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2021.08.03 18:59

まさかまさかのメキシコ演奏旅行

石野 啓造(18製大)

 この話は20歳代、3年間働いていた青春の思い出の地メキシコで47年後にまさかのまさかで実現した合唱演奏会の話である。

 私は水大卒業後、諸事情があって東京農工大の大学院に進み、その後メキシコシティ郊外40kmの町Chapingo(チャピンゴ)にあるEscuela Nacional de Agricultula, Colegio de Postgraduados (国立農業大学院大学、現メキシコ自治大学チャピンゴUniversitad Autonoma mexico Chapingo)の植物研究室にメキシコ国家公務員として24歳から27歳の3年間、メキシコで常食されているインゲン豆の蛋白質について研究をしていました。メキシコは大変親日的な国、そしてその人情、自然が気に入り、休暇には自前のフォルクスワーゲンでメキシコの大地を北に南に走り回りました。ペンネームの“宇須磨慎太”はユカタン半島を流れる大河、Rio Usumacinta(ウスマシンタ河)から取るなど、メキシコは今もって熱く私の血の中を流れています。50年前のメキシコは今と違い、遠い遠い国。日本とは国際電話か手紙のみ、帰国する時は“もう2度と来れないかも”と思ったものです。

 ところで、現在私は兵庫県川西市を中心に活動している“The 40s(ザ・フォーティズ)”という18名の男声合唱団で指揮をしています。The 40s(以下、40s)という名称は1940年代生まれのメンバーが中心なので、そういう名称を付けています。平均年齢は73歳で前期高齢者の素人おっちゃん合唱団です。水大時代、合唱団で学生指揮者をしていた経験を活かして、指揮を担当し、合唱編曲や作曲もしたりで、10年近く活動してきました。
 私達40sのモットーは、“合唱の向上を目指しながら合唱を踏み台にして多彩な人生を送ろう“というものです。合唱のレベルは、“ほどほど!”という感じでしょうか。小人数だけにフットワークがいいのが特徴です。

チューリッヒ郊外の町Aeschの新聞に掲載された40s演奏会の記事

 結成3年後、2014年3月、スイスのチューリッヒに演奏旅行に出掛けました。団員の姪御さんがチューリッヒでピアノの先生をされていたことで実現しました。チューリッヒ郊外の小さな町Aeschの学校の音楽講堂で行い、近隣の住民たちが普段着で聴きに来てくれる、そういうローカル色豊かな演奏会でした。演奏会後は来場の方々とささやかなパーティをして交流を持ち、地元の新聞にも記事が掲載されました。
 さてスイスの次はどこに行こうか、と思いを巡らせた時に浮かんだのが、メキシコでした。青春の思い出の地、そのメキシコで歌うことが出来たらどんなにいいだろうか。しかしメキシコを去って半世紀、当時の知人との連絡は途切れています。どうしてメキシコとコンタクト取ったらいいものやら、頭を抱えました。その時、水大時代にスペイン語を教えてもらったこともある春日真佐子さん、吉井努氏夫妻のことを思い出し、連絡を取る方法がないものか思案しました。同じ水大合唱団1年後輩の宮下敏夫氏の同級生の片平礼子さんが春日真佐子さんと仲が良かったことを思い出し、片平さんにお聞きすればメキシコの住所が判るかも、と宮下氏を通じて彼女に問い合わせてみました。ところがそこに奇跡の様な偶然が待ち受けていました。私が宮下氏を通じて問い合わせた12月1日の2日後になんと片平さんは春日真佐子さんの招待を受けて初めてメキシコを訪問するというではありませんか。『こんな偶然はそうあるもんじゃない!』と急遽40sの紹介とメキシコでの演奏会開催への熱い思いを記した手紙をメールで片平さんに送り、それをメキシコに持参してもらいました。そして無事御夫妻の手に届けられました。それから1カ月後の2015年1月、吉井氏から『大歓迎!』の返事を受け取ったのです。思い立って僅か2ヵ月後の出来事です。5ヶ月後の6月に吉井氏が日本に来られた際は大阪に立ち寄って頂き、私が定年退職後、道楽で始めた大阪鶴橋にある餃子専門店『鶴餃子』で歓迎会を行い親交を深めました。そして1ヶ月後の7月に今度は私が単身メキシコに渡り、メキシコ日系人協会“日墨協会”会長の和久井氏に吉井氏と一緒にお会いし、演奏会開催の想いを伝えたところ、ご快諾いただき具体的な日程も立てることが出来ました。帰路は北部のシナロア州の中堅都市、マサトランに立ち寄り、そこで吉井氏が経営されている食品会社“Alimentos Kay社”を見学して帰国しました。

 そして5ヶ月後の12月5日、団員14名とその奥さん方5名総勢19名での10日間のメキシコ演奏旅行に旅立ちました。“まさかまさかのメキシコ演奏会”の実現です。仲介の労を取ってくれた宮下敏夫氏も一緒に参加。ちなみに彼も大阪枚方で男声合唱団の団長として活躍されています。伊丹空港から成田へ、そこからユナイテッド航空でテキサスのダラス経由でメキシコシティへ、14時間のフライト。当時の平均年齢70歳の団体旅行は想像以上に“すったもんだ”でした。

 

                日本メキシコ学院での演奏会風景

 到着翌日、早速練習開始。メキシコシティは2,300mの高地。酸素不足で皆ハアハアと呼吸が乱れ、時差ボケも加わり思う様に歌えず、焦りました。
 最初の演奏会は日墨協会が支援している小、中、高校一貫校である“日本メキシコ学院”での演奏会。日系の学校だが8割はメキシコ人。この学校は皇室、総理大臣などメキシコ訪問の要人は必ず表敬訪問するハイグレードな超有名校。日本の普通のおっちゃん達の合唱は初めてだろう。日本だったら、「皆さーん、私語はだめでーす!静かに聴くのですよー!」と先生から言われ、生徒たちもキチンと守るところだが、ここメキシコでは大違い。気に入れば手を叩き、歓声を上げ、口笛を吹いて陽気に応えてくれる。もう開演前から口笛が飛び交う興奮モード。そこで我々も日本流に静々と登壇するのは止めて手を振り、笑いながら陽気に舞台へ。一気にヒートアップ。初めに表敬の意を込めて同校校歌(日本語)を歌ったが、

日墨会館での演奏会案内チラシ

メキシコ人の生徒も全員上手に日本語で歌い、感動的。日本の歌の際は、スライド映像を流して歌の内容を伝えた。メキシコ民謡をスペイン語で歌った時は自然と全員合唱で盛り上がる。演奏会終了時には生徒代表が壇上で謝辞を述べ、更に我々団員一人ずつ日本語とスペイン語で書かれた手作りの色紙がプレゼントされる。実に礼儀正しく、爽やかであった。
 翌々日の2回目の演奏会は、日墨協会の総本山“日墨会館”で行われた。翌2016年が日墨協会設立60周年になるのでその前祝いも兼ねた演奏会となる。日系関係者約120名の方々が参集、在メキシコの山田日本大使も出席された。夕方7時から始まり、日墨協会合唱団と合同合唱や、メキシコの方の三味線演奏、踊り、カラオケと12時頃まで多彩で賑やかなパーティとなる。
 演奏会のない日はメキシコ郊外ティオティワカンにある世界遺産太陽のピラミッドを訪問、ピラミッドのてっぺんで「あーたまを雲のー、うーえにだあしー」と『富士の山』を皆で合唱。周りの観光客は“けったいな日本のおっちゃんやなぁ!何を歌ってはるんやろ?”と怪訝な顔の後は大拍手!アステカの神々も“こんなおっちゃん達、初めてや!”とさぞかし驚いたと思う。

 メキシコシティでの2回の演奏会を終え、次にマサトランに移動し、吉井氏が経営されている食品製造会社“Alimentos Kay社”を見学、製造品をみんなで試食後、吉井氏のマンションを訪問。目の前が大平洋という雄大な眺めの高層マンション。美しい夕日が印象的でした。その夜は“Noche Bohemia”というメキシコ特有の宴会。地元の合奏団、吉井氏のご長男ファミリー、友人らも参加で飲めや歌えの大賑わいで、そのバイタリティーのすごさに圧倒されました。

日墨会館での演奏会風景

 

一緒に合唱される吉井氏

 翌日は思い出一杯のメキシコを離れ、アメリカはネバダ州のラスベガスへ。翌日貸切バスでモニュメントバレーへ。そして次の日はグランドキャニオンへ。大雪で視界不良だったのが心残り。雪降りしきるアリゾナ州の白銀の砂漠の中を再びラスベガスに戻り、翌朝のフライトでロサンゼルスから日本へ。かくして10日間の“まさかまさかのメキシコ演奏旅行”を無事終えることが出来たのでした。

ティオティワカンにある太陽のピラミッドにて

     

アメリカ モニュメントヴァレーで記念写真


《あとがき》

 40s という当時14人のちっぽけな素人男声合唱団が太平洋のかなたのメキシコで演奏会を持てたのは、まさに吉井努氏、春日真佐子様ご夫妻のご尽力と、当時の日墨協会の和久井会長のお陰です。
 心より感謝です。素晴らしい経験をさせてもらいました。

 そして吉井氏とのお付き合いはその後も続いています。2020年の秋、春日真佐子氏が旭日双光章を叙勲されました。大変光栄なことです。我々40sは叙勲祝として、私の知人の窯元で夫婦茶碗と徳利と盃セットを特別に焼いてもらい贈りました。コロナ後は、マサトランで太平洋の夕日を見ながら酒を酌み交わしたいものです。

 また、吉井氏経営のAlimentos Kay社ではこの度メキシコで初めて”Yoshii”ブランドの餃子が製造販売されます。私が大阪鶴橋で餃子専門店『鶴餃子』をやっている関係で、製造に関して少しお手伝いさせてもらいました。メキシコの皆さんがYoshiiブランドの餃子に舌鼓を打つ日を心より願うものです。

 40sはその3年後の2018年9月に、台湾は桃園市で地元の合唱団とジョイントコンサートを行いました。
 40sとジョイントコンサートをしていただけそうな合唱団をご紹介いただければ幸甚です。どこにでも出かけます。40sのホームページを是非ご覧ください。連絡先の記載もあります。http://the40s.music.coocan.jp                   

 

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