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2021.09.01 17:34

充実の学生生活(実習編)

溝口 扶二雄(8増大)

 館山の水泳実習は全学生が対象で、昔も今も大きくは変わっていないと思われるが、我々8回生(昭和31年)の場合を記すことにする。一学年220人を2つに分け、110人が一堂に会し寝食を共にする機会は、この実習をおいて他にはないので、それだけでも意味があると思う。水泳の能力を6段階に分けられた。4つの泳法を基準にAからFまで。私は、クロール、平泳ぎ、背泳ぎは上出来だったが、横泳ぎは川育ち(栃木県出身)なので、やったことも見たこともなかったので、零点。トータルCクラスだった。悔しかったので、その後横泳ぎを練習し、今では得意種目だ。

 最終日に行われる遠泳では、FとEクラスは1マイル、DとCクラスは2マイル、AとBクラスは3マイルだったが、私は特別にお願いして3マイルを泳がせてもらった。確かに遠泳の場合、平泳ぎだけでは首が疲れて持たない。横泳ぎを適宜はさむことにより、どこまでも泳げる(当時)気がした。ただ、泳ぎながらションベンしろよ!これには参った。なお、ボート(カッター)漕ぎの実習も併せて行われたが、呼吸を合わせる難しさを知った。尻の皮がむけたが、楽しかった。

 小湊実習場は房総半島の南端の近くにあるので、かなり遠い。国鉄(当時)の安房小湊駅を降りるとすぐ目の前にはほぼ円形の小湊湾(内浦湾)が広がる。海沿いに右に歩けば、その行き止まりが我が実験実習場である。学生の教育のための施設のほかに、コンクリート3階建てで円形の少しオシャレな建物の一部が水族館になっている。だから時々観光客も訪れ、中にはかわいい人もいるので、顕微鏡を覗きながら、そっと、ソッチばかりを気にしてる、仲間もいる。

 ここは、海洋生物研究のメッカで、増殖科の学生たちは1年次の磯採集に始まり、イセエビ等のスケッチ、ヒラメの卵分割と発生過程の追跡等を学ぶ。実習場のすぐ前は護岸壁を隔てて、水深3~4mの透明な海。海底を覗くと30~40cmもある伊勢海老や10cmもあるサザエが海底をノシノシと這っている。なぜならここは、5,000㎡にもおよぶ保護水域(禁漁区)だからだ。安房小湊駅を背に左方向へ進むと、日蓮上人生誕の地と言われる誕生寺に出る。また、和船に乗り湾口付近まで進むと鯛の浦と言う、天然の鯛が船底を叩く音に反応して湧き上がってくる名所もある。

 潜水実習の実施時期は3年次(昭和33年)の6月。増殖科50人の中から希望者がテストを受けて、パスした者だけが実習に参加できる。テストの内容は、①空気中で呼吸停止1分以上 ②水中で呼吸停止30秒以上 ③プールで飛び込まずにクロール50m以上 ④プールで飛び込まずに潜水25m以上。全項目をクリアして合格であるが、希望者は確か8~9人で全員合格だったが、潜水25mでは大きな差がでた。ようやく片道25mで終わる者が半数だが、往復50mを潜る者、さらに水中でターンして70mを潜った者もいた。私は1回のターンと復路の途中までだから、40m位だったろうか。

 潜水実習の舞台は、小湊実習場。まず潜水病やアクアラングについての座学から始まる。3年前に事故があったので、特に厳しい。禁酒、禁煙、10時就寝。担当は最も怖い宇野先生。いつも右手には青竹を握っていて、ヘマをすれば叩かれそう。

 唖然としたのは、潜水の基本の基本、昔漫画でよく見た、海底を歩く潜水者に海上の船から2人がかりでポンプを、えっちらおっちら漕いで、空気を送るアレ。“ヘルメット潜水”というらしいが、潜水の歴史のひとコマとして、全員が体験させてもらった。

 初めてアクアラングを装着して、おっかなびっくり海に潜る。圧搾空気は吸わないと来ない。あまり美味しくない空気だ。当時はアクアラングと言っていたが、それは商品名なので、今はスキューバ(スクーバとも)ダイビングが一般的らしい。当時のスキューバは開発されたばかりで、未完成の域を出ていない状態だったので、よく故障した。したがって、実習のテーマは自ずと「故障したとき、どうするか」だった。深く潜って、空気が来なくなったらアウトだから、必ず二人一組で潜るように指導された。もし故障したら、ひとつのマウスピースからくる空気を一息吸って相手に渡す。相手も1回吸ってコチラに戻す、を繰り返す。

 水中では、もしもの時のために、大きな動きをして体力を消耗しないように、フィンもゆっくり動かすように指導された。だから体内から発熱が少なく、海水温も低く、梅雨空は冷たく、寒かったー!何しろまだ、ウエットスーツなるものは無かったのだ。

 潜水実習の最後は、アクアラングの水中脱着テスト。装備を完全にして4~5mの海中に潜り、全装備を海底に置いて素潜りで海面に戻る。一息入れて、素潜りで海底に戻り、全部の装置を身に着けて海面に戻る。これが出来て、合格!波があるので難しい。出来なければ出来るまで何回でもやらされた。居残りで、7~8回やらされていた仲間もいた。ん?私は幸い、1回で合格だった。

 日本橋の三越本店の屋上でアクアラングによる潜水(スキューバダイビング)の実演のバイトが舞い込んで、柔道部の先輩の松原さん(7増大)から“お前やれ”と言われた。まだ、潜水やアクアラングそのものが珍しい時、三越屋上には約3,000人(主催者発表)の見物客が詰めかけて、立錐の余地もない。屋上の中央にアクリルで出来た透明の、高さ5m、直径5mの円筒形のプールがでーんと置いてある。そこで、パンツ一丁でアクアラングを装着して、水槽の上から飛び込む。アクアラングを装着しての飛び込みは、背中から、または両股を開いて着水時に閉じると決まっている。水槽の中をグルグル回ったり、上下に泳いだり。まるで、水族館のサカナ。当時のアクアラングはまだ未完成の域を出ず、レギュレータ(圧縮空気の調整器)の故障やエアホースの不具合などが時々あり、その対処の一つとして、二人一組で潜り、一方の装置に不具合があれば一つのマウスピースからくるエアを2人で半分ずつ分け合って吸い、兎に角エアを確保するという対策がとられ、その訓練も余儀なくされていた。

 私の場合、小湊実習場での潜水実習のペアの相手は岩橋義人君(8増大)で意気ぴったりだったが、この三越屋上では、ウワー、なんと女性だ。しかも、ちょっとツンとしたスレンダーな美女だ。18才だと言う。   こっちだって、海と柔道で鍛えて、腹筋だって6つに割れている体だ。何の問題もない。水中でのマウスピースの交換は、手と手を握り合い、肩を寄せ合い、タイミングが合わないと上手くいかない。マウスピースの交換は、水中での間接キスになる。ドキドキ、ドキ。何しろ、3,000人が見ている。大切なところが、ムクムク来ないように必死だ~!

 遭難事故は増殖8回生の4年間で、一番大きな出来事である。練習船・神鷹丸に養殖学コース30名、はやぶさ丸に資源学コース20名が乗船し、一週間の日程で伊豆七島を巡航し、水産動植物の研究を行う予定だった。初日の夕刻、伊東湾の湾口に到着、投錨。学生たちの要望もあり、上陸が許可され50名全員が上陸し、伊東の街を2~3時間散策。夜9時半過ぎ、2隻の母船へ帰船するサンパン(舟艇)は10人ずつ5回。その4番目のサンパンが神鷹丸まで50mのところで、連続する大きな三角波に飲み込まれて、沈没。私を含めて学生10人が真っ暗闇の、4~5mの荒波の中に放り出された。沈没したサンパンに掴まろうと5~6人が近づくが、船底を上にして、グルングルンと回転するので、掴まっていると海中に巻き込まれる。私は、沈没の瞬間は4~5mの真っ暗な海中に巻き込まれたが、幸い4ケ月前の潜水実習の経験を活かして、上下の感覚を失わずに海面に浮上し、体力の消耗を抑えながら一滴の海水も飲まずに砂浜にたどり着き、あとにつづく仲間たちの上陸を助け、さらに打ち寄せられたサンパンを2~3人で引き上げた。翌朝、行方不明者1名、重体者1名、溺れる寸前の者2~3名と判明した。その後一週間にわたり、海上保安庁の船も加わり、海と陸の捜索をしたが、状況に変わりはなかった。行方不明者と重体だった者の水泳実習ランクはFとEだった。

(雲鷹丸合唱団員 元愛知県楽水会長)

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